ハイヒールを履いた脚が獣になっている作品を見て、心が平穏に落ち着く人はいないだろう。
そこには何かしらの闘争だったり、物々しさを感じるだろう。心がざわつくのだ。
これこそ、井口エリーがあえて鑑賞した人の心のざわつきを意図した作品なのだ。
さて、最近の日本のアーティストは作品を通じて自身のメッセージを発信しなくなっている。
世間のタブーを打ち破ることはアーティストの役目であり、周りに配慮しすぎる社会から離れた存在だからこそ、自由にメッセージを発信できる存在なのだ。
にもかかわらず、作品のコンセプトは作り方などの技術的なことや自分の内面を吐露したような内容であることが多い。
社会の問題点について論じたり批判したりすることが非常に少ないのが日本の現状だ。
一方、欧米では社会問題を真剣に考えた上で、自分のメッセージをアート作品として分かりやすく伝える作家が多く、アートが自己表現の手段になっている。
例えば、ベネチア・ビエンナーレなどで出品される作品は社会問題のメッセージのオンパレードだ。
アーティストだからこそ、周囲に振り回されない意見が言えるのであり、そういった自由な存在であることを日本のアーティストも意識すべきだ。
日本は政治家でさえ周囲に忖度して自らの意思を伝えようとしないという末期的な状況にある。社会的な問題を喧々諤々議論するのは後回しにして、自ら生きていくための選挙活動に時間を使っているような有様だ。
そのような中で、井口エリーは強い女性としての熱いメッセージと意思を持ったアーティストである。
女性の社会進出を謳ったり、男性社会を批判するだけのジェンダー問題に偏ったアーティストとはまったく違う存在であり、もっと広い意味での問題提起をしているアーテイストと言えよう。
さて、井口エリーの作品を解説したいと思う。
まず、彼女の代表的な作品もモチーフであるハイヒールは女性を象徴するアイテムである。
スタイリッシュな外見を作るための「鎧」だ。歩きやすさといった合理性がない商品であり、女性の脚を綺麗に見せるための道具なのだ。
そのハイヒールを履く場合には、当然身にまとうファッションは着飾っていることが多いだろう。カジュアルとは一線を画すための勝負服に合うのがハイヒールだからだ。
ハイヒールは女性の持つ美しい部分を強調する象徴であり、ヒールの部分が獣の脚になることで、我々により強いイメージを持たせている。
そのように着飾った外見と裏腹に、ファッションの内側に存在する人間自体は何万年も変わることない(少しは進化しているだろうが)動物そのものだ。
オシャレにしていても、事が起きれば人間は獣のようになりかねない。
泣いたり笑ったりする感情は人間ならではであるが、その一方で、人間の弱さが露呈したときの「怒る」という感情や相手を威嚇する激しい行動は獣としての本能が表に出るときだろう。
人間も動物であるから当たり前のことだ。
美しいファッションでベールに隠していても、実は獣としての本能を隠すことはできないことを井口エリーは作品を通して示している。
常に変化する外見と、変わらない内面。
その二つを同時に見せているから井口エリーの作品はドキッとするし、我々の心をざわつかせるのだ。
それは、我々人間の動物としての本性がいつ出現するかもしれないと我々が認識しているからにほかならない。
映画のワンシーンのように
井口エリーは、メッセージを伝えたいときに、見せたいイメージを映画のワンシーンのように捉えて作品を作るようにしている。
例えば、以下の作品のようにルージュの部分に女性の指と爪を模造し、その一本には獣の爪を入れている。
人間は衣装にいくら身をまとってい魅せようとしても、獣としての本性は隠しきれないという社会の矛盾があることは先ほど触れた通り井口エリーの伝えたいコンセプトだ。
ルージュの作品も、ハイヒールの作品と同様に、一瞬で映画のシーンを切り抜いたように我々に印象深く見せてくれる。
どのように社会が進化しても、優雅な生活ができるようになっても、生まれたときと死ぬときは人間は裸であり、動物と同じなのだ。
人間は動物と違って理性を持っているが、ややもするとそういった理性をもつい忘れてしまうのが人間なのだ。
そういうことをストーリーで長々と説明するよりも、一瞬のイメージの中に閉じ込めて伝えようとするのが井口エリー流だ。
井口エリーの作品について、ここまで読むと単なるジェンダーの問題を提起するだけではないことが理解できるだろう。
作品の中には
「社会への問題に憤った女性が衝動的に履いていたハイヒールを投げてしまい、ふと我に返って自分の感情を顧みたときに片方の靴のヒールが獣の脚に見えた」
というストーリーがある。
女性のセクシュアリティを強く表現するためにハイヒールを使い、ジェンダーの問題も一部取り上げているのは事実であるが、それだけにとどまらず、さらに人間が必ず持つ二面性にまで問題の範囲を広げているのだ。
我々は井口エリーの作品を通して、世の中の不条理や矛盾は人間自身が作り出していることを思い知らされるだろう。
井口エリー Erie Iguchi |
*本記事は2020年公開の記事です。
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