日本のイラストアートブームは本物か?
先週のコラムでは、最近人気のイラストアートはオークションの落札価格が暴騰しており、値段と価値の逆転現象が起こっているのではないか、ということについて書いた。
すでに何人かのイラストアートの作品は、草間彌生や村上隆の作品と同じかそれ以上の価格で落札されており、対外的にはまだ何の評価もないままに価格だけが上がっていることは事実である。
そこには投機的な意味合いもあるだろうが、作品の値段と実際の価値との間にあまりに大きな隔たりができてしまうとバブルが崩壊する可能性もある。
これまでのアートの歴史においても、多くの人気先行のアーティストがバブル崩壊の憂き目を見ているのだ。
現在ブーム中のイラストアートが将来的にも値段に見合った価値が担保できるのかについて、ここで考えておく必要があるだろう。
もちろん十年後にも数名は生き残れるのだろうが、他がどうなっていくのかは予想だにできない状況である。
さて、国内のイラストアートの一部の人気に火がついて価格の高騰が起きたのはなぜだろうか。
米国のストリートアートの流れは日本のイラストアートに通ずるものがあるのだろうか?
もし同じ流れがあれば、値段がそのまま価値につながる基盤があるといえるだろう。
1970年代後半から始まる米国のストリートアートは、キース・へリングやジャンミシェル・バスキアのようにニューヨークの地下鉄での落書き(グラフィティ)からスタートし、後にステンシルやスプレーを使う手法へと発展していった。
その後、米国のストリートアートは様々なサブカルチャーと融合していくこととなる。
HIP-HOPなどの音楽、スケートボードなどのスポーツやダンス、ファッションとのコラボレーションで相性がよいことから爆発的にカルチャーとして流行が広がったといってよいだろう。
音楽やファッションという巨大市場に揉まれつつも、従来のアカデミックな欧米の現代アートの流れに対抗する形で、サブカルチャーとしてのストリートアートが確立されていき評価が追い付いたということだ。
さて、日本のイラストアートがこのような米国のストリートアートのような形で成長していけるのかについて考えてみよう。
つまりその国に根付いているサブカルチャーと、それを受ける音楽、ファッションといったものとの組み合わせが可能かどうかということである。
今のイラストアートは80年代の「ヘタウマ」ブームから来ている
現時点では、原宿にあるいくつかのギャラリーに所属するイラストアートの作品価格のみが高騰の対象となっており、ブームとしてその他の国内にいる多くのイラストレーターに飛び火している様子はない。
ファッションなどとのコラボレーションに関しては、少しずつではあるが進みつつあるといった状況だろう。
そういう意味では、まだ国内のカルチャーに根付いている状況からはほど遠いだろう。
米国との比較でというと、80年代には日本では「ヘタウマ」というイラストがブームとなり、日本独自のサブカルチャーとして当時は様々な広告のクリエイティブに利用されるなどで拡大したことがあった。
村上隆や奈良美智が世間に出現する前の時代であり、まさにその時には多くの美術学生がヘタウマ流のイラストアートを描き、油画や日本画の学生をも巻き込んでいったのだ。
しかしながら、国内では、イラストとアートについては領域が違うものという理由から、残念ながら日本の現代アート市場に食い込むことなく、ブームが終焉することとなった。
それがここ最近になって、遅ればせながらイラストもアートとして認識され売買がされることになったのである。
80年代にはすでに漫画家の江口寿史がイラストレーターとしても頭角を現していたが、当時は現代アートとして認識されていなかったのが、今になって酷似している別の作家が再評価されているのかもしれない。
つまり、本来ならもっとアート作品として評価されるべき日本のイラストが35年ほど遅れてのリバイバルということになったのかもしれない。
であれば、すでに35年前のイラストレーターはかなりの高齢となっているのでそこから新たな作品が作られてブームとなることは難しいだろう。
当時の美術業界側の思惑による「イラストはアートではない」というカテゴリーの分断が、アート市場の拡大につながらず、村上隆、奈良美智の到来まで空白を作ることになったのは残念なことだ。
いずれにしても、アートは作品の持つ本質的な価値と、その値段とが釣り合いをとりながら徐々に成長していくことが望ましい姿である。
現在のイラストアートの価格が高騰していく理由が、「パッと見て分かりやすい」アートを好む一部のコレクターだけによる投機にならないことを祈るばかりである。