
日本では長いあいだ、アートは投資対象とは見なされてこなかった。
これは感情論ではなく、冷静に振り返れば分かる事実である。
株や不動産は、将来の価値を見込んで保有するものとして社会的に認識されてきた。
一方でアートは、「好きな人が買うもの」「余裕のある人の趣味」「生活に必須ではない贅沢品」として語られることが多かった。
同じお金を使う行為であっても、アートは最初から資産の棚に置かれていなかったのである。
しかし、この考え方は世界の標準ではない。
欧米では、アートは資産ポートフォリオの一部として扱われている。
株式や不動産と同じように、アートもまた価値を保存し、時間とともに評価が変化し、場合によっては大きく成長する可能性を持つ存在として認識されている。
アートフェアには世界中の富裕層が集まり、作品を前に会話が生まれ、人と人がつながり、その中で自然に売買が行われる。
それは派手な競売の世界だけではなく、むしろ静かで理性的で、長期的な視点に立った取引が積み重なっている場である。
この傾向は欧米に限らない。
中国、台湾、韓国、シンガポールといったアジア諸国でも、アートは資産になり得るという考え方がすでに浸透している。
将来の価値を見据えたうえで作品を購入することは、決して特別な行為ではない。
では、日本のアート業界はこの事実を知らなかったのだろうか。
そうではない。
多くの業者や関係者は、海外の状況を十分に理解していた。
それでも、次の一言ですべてが止まっていた。
「でも、日本にはそういう文化がないから」
つまり、日本の市場は変えられないものとして扱われ、最初から諦められていたのである。
海外市場に目を向ける一方で、国内市場の構造を変える努力はほとんど行われなかった。
その空気を大きく揺さぶったのが、コロナ禍だった。
飲食、旅行、ライブやイベントといったエンタテインメントへの支出が突然止まり、多くの人の手元には使い道を失ったお金が残った。
一方で、不動産は先行きが読めず、株式市場は乱高下を繰り返していた。
そこで、ごく一部の人たちが、これまで選択肢にすら入っていなかったアートを、投資対象として見始めた。
消去法のような形ではあったが、日本で初めて「アートを資産として考える」動きが可視化された瞬間だった。
その結果、日本のアート市場は一時的な活況を迎える。
いわゆるプチバブルである。
アート初心者にも分かりやすく、部屋に飾りやすく、視覚的に華やかなイラスト的アートが好まれた。
オークション市場もそれを後押しし、価格は短期間で上昇していった。
しかし、この現象は長続きしなかった。
なぜなら、それらの作品の価値は、ほとんど国内市場にしか通用しなかったからである。
欧米市場にも、他のアジア市場にも広がらず、国境を越えた評価軸を持つまでには至らなかった。
やがてコロナ禍が収束し、人々は再び外食し、旅をし、ライブに足を運ぶようになる。
さらに物価高が追い打ちをかけ、生活の中での優先順位は大きく変わっていった。
アートは、最も後回しにされやすい存在である。
購入できる余裕を持つ富裕層でさえ、日常的に目にする物価上昇のニュースを前に、心理的なブレーキをかけるようになった。
こうして、日本のアート市場は、コロナ前とほぼ同じ位置に戻った。
一瞬だけ未来の入口に立ったものの、その先へ進む準備はできていなかった。
ここで見落としてはならないのが、「アート投資」という言葉の扱われ方である。
本来、アートへの投資とは、作家を長期的に支え、市場を育て、時間をかけて価値を形成していく行為である。
しかし日本では、それが短期的な売買差益を狙う行為、つまり投機と混同された。
その結果、マーケットは一時的に盛り上がったものの、持続的な拡大にはつながらなかった。
問題は作品や作家の質ではない。
売り方と、市場の構造そのものに原因があったのである。
次回は、日本のアート市場がなぜマーケットが広がりにくい構造を持ってしまったのかを、具体的に解きほぐしていく。
そこには、日本独自の商習慣と、無意識の思い込みが深く関わっている。
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