アートの民主化とその未来について考えてみよう。
前々回のコラムアートの未来 – その3- にて、アートは専門家の知識をあてにするのではなく、一般の方がもつ情報でアートの価値が決められる時代が近づいていることを述べた。
上からの押し付けではない、アートの価値の民主化が進むということだ。
アートの価値について専門家の地位が降下すると、ちまたのアート好きによるランキングなどがあちこちで始まることになるだろう。
アマチュアだが多くの作品を見ている人の情報が重宝される時代になってくるのだ。
つまり、レストランランキングでいうところの「ミシュラン」のような一部の評論家が設定する星の数と、日本中のグルメの意見をもとにして作られた「食べログ」との違いといえば分かりやすいだろう。
アートの評価がレストランのランキングのように誰でも評価できる簡単なものになっていくということだ。
アートの大衆化が進み作家数が増加する一方で、増えたアーティストをどのように評価していくのかという問題は必ず出てくる。
その解決策として、食べログ的な一般のアート好きによる批評やものさしというものが必要になってくるはずだ。
そうなると、これまで専門家が一般の人をけむに巻いてきたような難解な説明は不要となっていく。
どちらかというと直感的に感じたことを分かりやすく伝える技術が必要になるのだ。
セカンダリー市場でも、今はオークション会社側が設定する「エスティメート」という価格の目安が事前に示されるが、これはミシュランの評価に似たもので、世間一般の人気を反映したものではない。
競馬の倍率のように一般の人気度によってエスティメートが変動するアルゴリズムが組み込まれたシステムが必要となるだろう。
これまでは専門家の論評があるアーティストの作品のみが評価の対象にあり、それ以外はどんなに売れていても評価の対象になっていなかったのだが、ここに大きな変革が訪れることになる。
プロを意識しているアーティストの作品はすべて評価対象となり、そこでは多数の様々なアート好きによって多角的な評価を受けることとなるのだ。
かつては王侯貴族のみが楽しんでいたアートが我々庶民にも楽しめる時代が近づきつつある。
それが本格的な大衆化となるには「アートはよく分からない」といった人と専門家との知識の差を埋めるが必要となるのだ。
そこにはアートを分かりやすくする技術と努力が必要であり、それなしには前には進まない。
アップルがiPhoneを開発してスマートフォンが普及したことの理由は、使用説明書がなくて誰でも感覚的に使えることにあったからだ。
日本にアートのマーケットがないと悲観する時間があるなら、リーズナブルなアートをアッパーミドル層にどのように売ればよいかを考えたほうがよいだろう。
アートの大衆化は欧米だけではなく日本でも進むことを阻んでいる問題は、古い業界の慣習に侵されたアート業者の頭の中にあるのかもしれない。
これまでは業者と購入者との知識の差で売っていた時代から、購入者に分かりやすく知識を提供することにシフトする時代へと変わっているのだ。