前回に引き続き、アートの世界がどのように今後変わっていくかについて、すでに見えている兆候から予想していきたいと思う。
今回はその中でもマーケット観点からマクロ的にみた変化を探っていきたい。
この変化はすでに欧米では当たり前のように始まっていることでもあり、日本がそのトレンドを追うように変化することは間違いない。
マーケットが進化するスピードに差があってとしてもベクトルの向きが変わらないので、早晩かならず以下のようなことが起きるはずだ。
アーティストの数が増加し、それに応じて作品数が爆発的に増える
AI(人工知能)が発達するにつれて、システムに置き換われる労働時間は徐々に減少し、そこで余った個人の時間の使い方を重視する動きが始まっている。
そこでは自身が所属する会社などの組織に縛られることなく働くことや、お金よりも自由を謳歌することに価値観が置かれるようになるだろう。
一定の収入があればこれまでのような裕福な暮らしを目指すのではなく、自分らしい生き方や創造活動に力を入れる人が増えてくるのだ。
このような動きは今に始まったわけではなく これまでも農業革命、工業革命に続くITによる情報革命が労働時間短縮と自分時間の捻出の後押しをしているのだ。
そういう状況の中、アマチュアのアーティストの数が爆発的に増えていくだろう。
美術大学の入学者が増えるというわけではない。
すでに米国では活躍しているアーティストが美大出身者ということでなくなっており、その数は半数を切っているとも言われている。
つまり、アーティストになるのは美大出身者である必然性はほとんどなく、絵画やデッサンの技術というものがアートの制作とリンクしているわけではない昨今では、美術教育を受けないアーティストが増えていくことは間違いない。
アマチュアアーティストの数の力はさらに威力を増していくことだろう。
Facebook、InstagramといたSNSを使って作品や制作活動を自分である程度宣伝・広告できるようになった今では、アマチュアとは言えないほどに自らが発信者となってある程度のお金を稼いで自由に生活をする人が増えていくはずだ。
まわりの組織にとらわれることなく、自由に自分の時間を作りだすことがもっとも人間らしい生活であり、それを実現する姿が新しいライフスタイルとして徐々に若者を中心に定着し始めることだろう。
そうすると当然ではあるが、ちまたには様々なアートが数多く目にすることになる。
ここ数年でその絶対数は増え続けるだろう。
アートは残すことを前提に作られるので、廃棄しない限りは増殖していく。
そうすると行き場を失ったアートはそれを買い求めるマーケットを追っていくようになるだろう。
このようにアートは最初にニーズとしての市場欲求があって作られるのではない。
なぜかといえば、アーティストはそもそも市場のニーズにあわせて作品を作っているわけではないからだ。
つまり、アーティストが作る作品の増加に始まり、それに対応する形で拡大するのがアートのマーケットの特長なのだ。
行き場を失なったアートはそれを買い求める顧客を探し出し、徐々にマーケットを拡大するだろう。
それはオークション会社で落札されることがニュースになるような何十億といったアート作品ではなく10万円以下のアート作品であり、このマーケットが大きく成長する余地があると思われる。
作品数に対応する形でマーケットが増えるが、仲介業者は淘汰される
作品数が増えると一般の方にもアートが身近になる。
アートはほかの作品との機能的な比較がしにくという特色があるため、そこでは価格競争は発生しない。
顧客が買うことのできる範囲内でマーケットが拡大していくのだ。
ただし、これまでと大きく違ってくるのは、作る方のアーティストが自分自身でプロモーションしたりすることができるようになるということだ。
アーティスト仲間同士で空いたスペースを借りてギャラリーを運営することもあるだろう。
Air BnBやUBERのようなシェアリングエコノミーが発達してくると、空いた場所を期間限定で活用するギャラリー空間はますますアーティストにとっては使いやすくなるに違いない。
となると、ギャラリー空間をもって展覧会を開催するがプロモーション力に弱いギャラリーは駆逐されていくだろう。
ギャラリーのもつ展覧会開催の機能は薄れており、芸能プロダクションのようにアーティストをプロデュースする専門能力が必要とされる。
今後はアーティストとギャラリーの立場が対等になり、アーティストによっては自分自身が顧客リストを持ち、様々なギャラリーを利用しながら活動を続けるようなタイプも出てくるだろう。
仲介業者としての機能しかないギャラリーは今後淘汰されていくことは間違いない。
専門家と一般の方との知識の差がなくなる。
美術専門家はアートの歴史というものを本などの情報から理解して、作品の持つ意味合いと結びつけたり、作品のもつ歴史的な価値を論理付けたりするが、そのような知識としての情報の引用が誰にでもできるようになった昨今としては、アートの専門家の機能は薄れていく。
誰でもGoogleの画像検索やWikipediaなどで作家の名前を入力するだけで瞬時にアーティストの情報がとれる世の中だ。
体系的にアートを学ぶこともなく、都度アーティストの作品コンセプトを知ることができるようになったのだ。
そうなった現在としては専門家と一般との差はほとんど見られなくなり、一方、最新のアートの数を見る部分は差として出てくるだろう。
つまり、旧来のアート作品は知っているが外に出て新しいアートをギャラリーなどで観察していない人は専門家としての価値を失っていくことだろう。
このように専門家の知識をあてにするのではなく、一般の方がもつ情報にてアートの価値が決められる時代が近づいている。
上からの押し付けではない、アートの価値の民主化が進むということだ。
上記のように進む未来に対し、我々は何をすべきか、どのようなサービスが求められるのか、については次回のコラムにて少しずつ明らかにしていきたいと思う。