アーティストが制作をしながら社会の中で日々生活するためには、当然のように作品だけでは食べていけないという現実が目の前に立ちはだかる。
だからこそ、タグボートは作品で食べていけるアーティストが一人でも多く生まれる世界をめざすために仕事をしているのだが、現状ではまだ難しい環境であることは確かだ。
作家が作品を売って食べていこうとすると、売れることを意識した作品を作らざるを得ず、それなしには生活ができない。
つまりアーティストは現代の資本主義の世界にドップリとつかって制作しないといけないのが今の社会だと言うことだ。
とはいうものの、必要最低限の生活ができて特に贅沢を言わなければ、世間のことを考えずに自分の作りたい作品だけを作っていきたいというアーティストもいるはずだ。
それを実現することは、売れる売れないを気にせずに自由に制作をし、それを見る人が来てくれる展示空間があるというのは作家にとっては楽園のような世界だろう。
このようなアーティストにとって楽園のような世界を作ることもタグボートの使命であるとも考えている。
と言うと、常日頃タグボートが言っていることと少し矛盾するように思えるかもしれないが、実は主張は一貫している。
アーティストが美術史の中に重要な位置づけを得て価値を高めるには、作品が「発明品」であることと、「インパクト」の高さの2つが極めて重要である。
一般的には、発明品というものは急に作れるものではなく、研究者の絶え間ない基礎研究の上に成り立っている。
つまり、必要性に迫られて発明がなされることは少なく、どちらかというと基礎的な研究によって培われた技術のうち市場にニーズに合わったものが発明品として世の中に出されているのだ。
このようにアートにおいても通常の発明品と同じように「基礎研究」の時間としての「実験」が必要とされる。
ここでいう「実験」とは、世の中のニーズを意識せずに、作りたい素の欲求のままに制作するということだ。
実験の重要性は海外では当たり前となっている。
例えば、日本国内で主に販売されるアート作品はキャンバスに描かれた絵画が多いのだが、ベネツィアビエンナーレといった国際的な展覧会では様子がまったく違ってくる。
ベネツィアビエンナーレの各国代表が発表しているのはパフォーマンスやインスタレーションといったものがほとんどで一般的な絵画は極端に少なく、いずれも販売というものを意識しない作品となっている。
そこでは実験が繰り返され、実際に世の中の購入ニーズにつながるかどうかという意識はあまりされていない。
重要なのはその作品の持つ「インパクト」と、それが美術史に残る「発明品」になり得るかということだ。
アーティストにとってはお金と無縁の世界で制作ができれば本当によいことだろう。
そのほうが精神的な解放もあり、細かいことを考えずに制作に没頭できるからだ。そのようなアーティストにとって自由に制作できる環境を提供することも我々には必要だと考えている。
その一つとしてアーティスト・イン・レジデンスの存在があるのだが、そのレジデンスの中で自然発生するアートのコミュニティーをつないでいくことも重要だと思っている。
現在タグボートは、中国・上海市の朱家角にある「タイガース・ハウス」というアーティスト・イン・レジデンスと提携して、継続的にアーティストを送りこんでいる。
上海というアート市場が急成長しているダイナミズムを間近で感じながら、水郷と呼ばれる風光明媚な朱家角で滞在制作をするというのはアーティストにとっては、制作に集中し違う環境に触れることで新しい気付きもできるのだ。
また、同じレジデンスにいる海外のアーティストと知り合うことで、切磋琢磨しながら、異国のアーティストとの交流の中が別の視点を持つことにもつながるだろう。
そのための滞在費や制作費は別途クラウドファンディングでお金を調達すればよいだろうし、お金のことで困ることがないようにアーティストを支援していきたいと思う。
タグボートがアーティストにとって食べていけるようにするためには、このような基礎研究と実験の場を与えることにもある。
実はアーティストが実験を研究を思う存分できるような「楽園」の場を新たに作る案件もあり、それにタグボートがどのように携わっていくかについては次のコラム「アーティストの楽園を作る」の中で書いたので、興味のある方は見て頂きたい。
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