最近は「アートを学ぶことで感性がよくなる」といった論調が世間にまかり通るようになって久しい。
そういうレポートや本を読むと、左脳を使った論理思考ばかりだと頭でっかちになるので、右脳を使ってアートを鑑賞することで感性を高めたり、左脳と右脳との相乗効果で新しいビジネスの創造に役立つといった論述が目に付く。
実はこのような内容はアートで実際にビジネスをしている我々から見ると、どうも奇妙に感じることが多い。
というのも、このような論調がアートをイメージだけで捉えているような感じがするからだ。
アートがどのようにビジネスの役に立つかといった視点が実際のビジネス側ではなくて、なぜか学者やコンサルタントなどのアカデミックな視点でしか論じられていないように思える。
さて、実際にアートで仕事をしているギャラリストは毎日多くのアート作品に囲まれているのだが、どのようにアートが彼らのビジネスに役立っているだろうか。
ギャラリストはまさにビジネスとアートの交差点にいる人たちだ。
その人たちならアートに毎日触れることでビジネスが軌道に乗るはずだろう。
またアートによって高めれた感性が彼らの思考にプラスとなって新しい事業創造に役立っているだろうか?
その答えは、現在の日本のアートマーケットの実態が如実に物語っている。
国内の小さな美術市場で旧態依然とした経営スタイルである画廊がいかに多いことか分かるだろう。
実態は非常に厳しい状況なのだ。
何となくのイメージだけでアートがビジネスにもたらすメリットを論じるのは危険だ。
本当にアート鑑賞などの教養がビジネスに役立つのならば、美大出身者の起業家はほかと比べて成功確率が高いはずだ。
最近でこそAir BnBの創業者はアートスクール出身者だということで、アートに関わる人があたかも創造性が高いような言い方をしているが、実際の起業家の総数に対してアートスクール出身者が成功している割合は高くはないだろう。
Air BnBの例は木を見て森を見ずという言葉のとおり、アートスクールを出たことがビジネスの役に立ったわけではなく、たまたまアートスクール出身者でビジネスに長けた人がいただけのことだ。
さて、アート作品を見るだけで人間の感性が高まり創造力が豊かになるはずがないことはここで論じるまでもない。
人間の持つ感性というものはDNAからくる天性の部分と、長年の生活環境によって培われる。
感性は美術館でアートを見たくらいで磨かれるものではない。
そもそも感性が低い人にアートを見せたところでその人の感覚が繊細になるはずもなく、生活様式を大幅に変えない限りは創造力などが高まろうはずもない。
確かにテクニックは短期に学ぶことはできるだろう。
例えば、鉛筆デッサンでよりうまく描ける技術などだ。
そのような表面的な部分、つまり苦手であった絵を少しでもまともに見せることにはテクニックは役立つのであろうが、これは逆上がりや跳び箱が出来なかった人にテクニックを教えることで自信を取り戻させるような対症療法と何も変わらない。
一時的にテクニックは効くのかもしれないが、それが長期にわたっての健康維持や運動能力の向上につながることはないのだ。
美術館で作品を見るだけで感性が養われないのは、サッカー観戦をすることで運動能力が高まったり、とっさの優れた状況判断ができるわけではないのと一緒だ。
あくまで美術館で作品を見るのは娯楽であり、教養をつけるのには役立つだろう。
美術鑑賞を趣味としている人が、しない人に対してマウンティングを取るために、アートを見ないやつは感性が低いので仕事ができないといったことを言うのかもしれない。
または「アート」のもつ言葉の意味を、「デザイン思考」や「美意識」というところまで思い切り広げてしまうと、もう何が何だか分からなくなり、アート的なものが全部ビジネスに役に立つという論調になりかねないのだ。
さて、それではアートが実のビジネスに役に立つ存在でないとすれば、アート鑑賞をすることで身に付けた教養をどのように生かすことができるのだろうか。
単に海外で欧米人とのパーティーで使えるネタくらいのものであれば、敢えてそのような教養は「見栄」でしか使えないのでは?とも思われるが、実はそうではない。
アートを知ることで身に付けた教養がどのように役に立つのかを次の「我々がアートから学ぶべきこと」のコラムで説明したいと思う。
一般人からは得られないアーティストからの視点がそこにあるのだ。
「我々がアートから学ぶべきこと」 こちらはオンラインサロン限定のコンテンツとなります。