子どもの頃、紙と鉛筆さえあればどこまでも遠くへ旅することができた。
コムロヨウスケもまた、そんな少年だった。彼は新聞広告の裏でも、ノートの端でも、どこにでも絵を描いた。誰かに見せるためではなく、ただ描くことが好きだったのだ。
彼にとって「描くこと」は、世界と対話するための手段だった。子どもの目に映る世界は、色鮮やかで、変幻自在だ。
だが、成長するにつれて、人はその鮮やかさを見失っていく。コムロは、それを許さなかった。彼は手を動かし続けることで、世界の輪郭を確かめ、自分が何者なのかを知ろうとしたのだ。
漫画家を夢見た少年は、やがてアクリル画へと手を伸ばし、デザインを学び、そして最終的には「アート」という広大なフィールドへと足を踏み入れることになる。
面白いのは、彼がアートの世界に惹かれた理由だ。彼は「美術」というものを、最初は「古臭くてお堅いもの」と思っていた。
だが、現代アートに出会ったとき、その考えはひっくり返った。「これは俺もやらなきゃいかん!」と。まるで新しい冒険の扉を開けたかのような興奮だった。
しかし、ただ飛び込んだだけでは終わらない。
彼はデザイン、工業デザイン、グラフィックデザインなど、あらゆる表現手法を学びながら、自分が本当に表現したいものを探し続けた。
特に、アメリカ・フィラデルフィアでデザインを学んだ経験は、彼の作品に大きな影響を与えている。西洋的な合理性や機能美の考え方が、彼の作品の構造に組み込まれているのだ。
削ぎ落とすことで見えてくるもの
アーティストはしばしば、「何を描くか」以上に「何を描かないか」を考えるものだ。コムロヨウスケの作品もまた、その本質は「削ぎ落とす」ことにある。
彼の作品には、余計なものがない。
色も線も、驚くほどシンプルだ。しかし、そのシンプルさの中に、見る者の想像力をかき立てる何かがある。
彼は「世界の本質を表現したい」と語るが、実際に彼の作品に触れると、それがただの言葉ではないことが分かる。
彼は宇宙の法則や、自然の構造に強い興味を持っている。
混沌としたものを嫌い、理路整然としたものに惹かれる彼の感性は、ミニマルな表現へと結びついているのだろう。まるで、宇宙の法則そのものを、一枚のキャンバスに凝縮しているかのようだ。
彼の作品は、シンプルでありながら、決して無機質ではない。
そこには、数学的な構造と同時に、どこか温かみのある感覚が宿っている。直線や円、シンプルな形が組み合わさることで、視覚的なリズムが生まれ、まるで音楽のように心に響く。
また、彼は「静寂」というものを大切にしている。
音楽において、音が重要なのはもちろんだが、同じくらい「無音」の部分も重要だ。それと同じように、彼の作品は「描かれた部分」だけでなく「描かれなかった部分」もまた意味を持つ。視覚の中に余白を生み、鑑賞者の想像力を刺激するのだ。
彼の作品はまるで、世界の雑音をすべて削ぎ落とし、核心だけを残したような存在だ。
一本の線の強さ、シンプルな形が生み出す空間の広がり──そこにあるのは、静けさの中に響く力強いメッセージである。
また、彼の作品には、工業デザイン的な思考も取り入れられている。
単なる感性の産物ではなく、合理性や機能性を意識した造形が特徴的だ。そのため、一見アート作品でありながら、どこか建築や工業製品のような洗練された構造美を感じることができる。
作品を所有するということ
コムロヨウスケの作品は、日常の中に「静寂と構造」をもたらしてくれる。彼の作品を部屋に飾ると、そこに新しい秩序が生まれるような感覚がある。
彼の作品は決して派手ではない。だが、そのシンプルな線と形が持つ力は、見るたびに新しい発見を与えてくれる。
もしあなたが、自分の空間に「静寂と構造」を加えたいと感じたなら、コムロヨウスケの作品を迎え入れることを考えてみてもいいのではないだろうか。そうすれば、毎日眺めるたびに、あなた自身の中にある「本質を見つめる目」が少しずつ研ぎ澄まされていくかもしれない。
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コムロヨウスケ
Yosuke Komuro |