主に陶器で立体作品を制作する小池正典。独特の形を持った生き物のような作品には、それぞれ詩や物語の一節のようなタイトルがつけられています。
日本は一神教ではなく八百万(やおよろず)の神があり、万物にはそれぞれ宿っている魂がある、という考え方を軸に、毎日目にする空の色や身近にある建造物などからインスピレーションを受けて制作を続けています。
日常にある言葉、物の名前、音、匂いなど、通常では記憶に残らないような目立たない存在に名前をつけるように作品を作っているのです。
日頃書き溜めている言葉やスケッチから生まれる陶器の作品には、魂が吹き込まれているようです。
小池 正典Masanori Koike |
陶器に魂を込める
アニミズムなどの自然崇拝に制作動機が起因しているという小池正典。
経過した時間を感じられるようなもの、例えば岩に生えた苔などの自然物や遺跡など、過去を感じられるものが好きで、道端に転がるの石のような物言わぬ存在を作りたいという気持ちが大きいといいます。
時間の風化に耐えることができる素材である陶器は、作家の手によって魂の宿る生き物のように形作られます。
手びねり, 13x 4.5 x4.5cm, 2023
手びねり・陶土・釉薬, 19x 9 x6cm, 2023
陶土・釉薬・鉄・木, 50x 20 x15cm, 2021
SOLD OUT
何気ない日常から生まれる感触
作家のインスピレーションは、毎日見る空の色や家やビルなどの建造物など日常の風景から得られます。
日常の風景、たとえば青空の下の陽気な気持ち、夕立の後の虹、北斗七星の子供など、
様々なものから着想を得て写し取る色、形、言葉をメモに残し、
作家独自の感覚で、物言わぬ存在に名前をつけるように制作しています。
キャンバス・アクリル絵の具, 61x 73 x3cm, 2023
キャンバス・アクリル絵の具, 23x 23 x2cm, 2023
キャンバス・アクリル絵の具, 40x 40 x2cm, 2023
想像の世界に願いをこめて
作家は幼いころから絵を描くことが好きで、欲しかった馬をよく描いていたといいます。
古代、人々が壁画を描いたように、想像の生物に願いを託して表現するのは、今も変わらない営みのひとつです。
作家は、見たことのないような新しい物を生み出す想像力は、願いとともに誰の胸の中にも眠っているはずだと感じています。
作品の作られた背景に思いを馳せると、身の周りの何気ない風景に目を向け、好奇心と創造力を膨らませることができるかもしれません。
手びねり・陶土・釉薬, 17x 6 x6cm, 2022
陶土・手びねり, 26x 12 x6cm, 2022
手びねり, 13x 8 x6cm, 2023
小池 正典Masanori Koike |
1984 埼玉県生まれ
2006 明星大学造形芸術学部卒
2009 佐賀県有田窯業大学校卒
グループ展
2013 GEISAI#18 (東京都立産業貿易センター)
GEISAI#18ポイントランキング受賞者展
(HidariZingaro)
2016 TOKYODesignweek
2017 TAGBOAT independent (台北)
TOKYO JUNCTION (BLOCK HOUSE)
2018 「怪獣たちのいるところ」2人展 (TAGBOATgallery)
2019 SICF19 (spiral)
2020 目黒雅叙園TAGBORT百段階段展
2022 TAG BOATartfair(産業貿易センター)
個展
2011 「どうしてここへ そしてどこへ」 dininggallery 繭蔵
2013 「軽くて小さな日々」 Oz Zingaro
同年KaiKai KiKi studioポンコタンカフェ
2015 「この先のユートピア」 NANJO HOUSE
2016 「音になって宙になって何も見えなくなってしまうまで」 NANJO HOUSE
2019 「おはようpeopleおやすみdancing」NANJO HOUSE
「明日発掘される未来」 gallery MUMON
2021 「転がる石」 PENSEE GALLERY
受賞歴
2013 GEISAI#18 PointRanking5位
2016 TOKYO DesignWeek Art部門グランプリ
2017 TAG BOAT independent台北 特別審査員
2018 wonder seed2018 入選
無常感を表現している。
あらゆるものの有限性はそこから生じる喪失感をはらむ。
喪失感は可愛いや愛おしさという感情が含まれると思う。 いつかは物は壊れてしまう、身体も失われてしまう。近年の自然災害などで感じるのは圧倒的な大きな力で一瞬にして崩れていく平穏な日常があり 大きな変化がある不安定な上に私たちの営みは成り立っているということだ。 そういうものの上に私を取り巻く日常の風景がある。こうした現実が、日常の裏にあるということを自然に示しているのが、「かわいい」や「愛おしい」といった言葉なのではないだろうか。絶えず変化していく日常に潜む可愛いや愛おしさを記録したい。