子どもの頃、贅沢といえば「好きなだけお菓子を食べること」だった。
大人たちが「食べ過ぎると太る」と忠告しても、そんなことはどうでもよかった。
お腹いっぱいになることが、最大の幸せだったからだ。
少し成長すると、欲しくなるものが変わる。
ゲーム機、ブランドのスニーカー、最新のスマートフォン。
持っているだけで満たされた気分になる。周りの友達より少しでも良いものを持ちたい、そんな競争心もあった。
しかし、大人になると気づく。
「持つこと」の喜びには限界がある。
どんなに高級な車を買っても、どんなに広い家に住んでも、それが日常になれば特別なものではなくなる。
新しいモノを手に入れても、時間が経てば当たり前になる。まるで炭酸の抜けたコーラのように、最初の刺激はどこかへ消えてしまうのだ。
では、本当の贅沢とは何だろうか。
ここで、一杯のワインを思い浮かべてほしい。若いワインはフレッシュで勢いがあるが、時間が経つにつれて味に深みが増し、まるで語りかけるような複雑な香りを放つ。
アートも同じだ。手に入れた瞬間よりも、時間が経つほど愛着が増し、価値が深まる。眺めるたびに新たな発見があり、日々の暮らしに寄り添い続ける。
この「時間が経つほどに価値が増すもの」が、本当の贅沢なのではないか。
モノを持たないことで得られる豊かさもある。
たとえば、旅行の思い出や、大切な人と過ごした時間。それは形には残らないが、心の中に積み重なり、人生を彩ってくれる。
だからこそ、音楽を聴く、美術館に行く、演劇を観るといった「文化を消費すること」が、人々に豊かさをもたらしてきた。
だが、文化の消費には限界がある。
コンサートが終われば音楽は鳴り止み、演劇が終われば幕が下りる。
どんなに感動しても、その体験は過去のものとなる。
しかし、アートは違う。所有することで、それは常にそこにあり続ける。
部屋に飾られた一枚の絵が、毎日違った表情を見せ、人生に新たな意味をもたらしてくれる。
そして、アートを所有することは単なる個人的な楽しみにとどまらない。
それは文化を支える行為でもある。
たとえば、買ったアートの代金の半分はアーティストの次の制作のための軍資金となり、新しい作品が生まれる。
さらに、個人のコレクションが増え、やがて美術館に寄贈されることで、未来の人々がその作品を鑑賞できるようになる。
文化は「残されること」によって初めて文化としての価値を持つ。
売れない作品は世の中に残らず、やがて消えていく。だからこそ、アートを買うことは、文化を未来へとつなぐ行為なのだ。
なぜ欧米の富裕層の家には昔からアートが飾られているのか。それは、彼らが代々受け継がれる家とともに、文化もまた受け継ぐものだと理解しているからである。
アートは財産であると同時に、家族の歴史を語るものでもある。
祖父が買った絵を父が受け継ぎ、子がまた次の世代へとつなげていく。それは単なる装飾ではなく、家族のアイデンティティの一部なのだ。
まだ日本にはこの文化は根付いていない。
しかし、これからの時代は違う。本当の贅沢、最後の贅沢として、アートを買うことが当たり前になっていくだろう。
高級マンションに住むことやファーストクラスに乗ることは一時的な満足にすぎない。
しかし、アートを所有することは、自分だけの文化を持つことであり、それこそが何物にも代えがたい贅沢である。
目に見えない贅沢を、暮らしに足してみる。それは決して難しいことではない。好きなアートを一点、部屋に迎え入れてみるだけでいい。その一歩が、人生をより豊かにしてくれるはずだ。
2025年3月14日(金) ~ 4月5日(土)
営業時間:11:00-19:00 休廊:日月祝
※初日3月14日(金)は17:00オープンとなります。
※オープニングレセプション:3月14日(金)18:00-20:00
※3月20日(木)は祝日のため休廊となります。
会場:tagboat 〒103-0006 東京都中央区日本橋富沢町7-1 ザ・パークレックス人形町 1F