アートを鑑賞するだけでなくて、収集するようになると色んな価値が見えてくる。
すると、一般の商品や嗜好品、芸術の中でもアートだけが持つ独特の価値があることに気が付くだろう。
アートには、素材コストを反映した価値は少なく、そのほとんどが「付加価値」だけで占めらていれる。
一般的には、付加価値には「実利的価値」と「情緒的価値」がある。
以下で説明しよう。
実利的価値
実利的価値とはどのようなものなのかと言うと、実生活で役に立つ物やサービスのことである。
つまり、商品やサービスの利便性であったり、顧客の問題解決に役立つものと言ってよいだろう。
例えば、飲食店やホテルなどで提供されるサービスをはじめ、株式や不動産など、役に立つ・儲かるといったものは全て実利的価値となる。
情緒的価値
一方、情緒的価値とは、商品やサービスを見たり利用した際に、顧客が実際に体感する感情的なものである。
実利的価値と違って、生活の役に立ったり儲かるわけではないが、感情へ影響を与える価値なので、エンタメや芸術などを鑑賞することで得ることができるものだ。
例えば、音楽やライブはそれを見聞きしても個人の利得にはならないが、感情的に満たされるめに対価を払うのだ。
これは実用性とは関係なく、人が得る特定の感情を報酬としてとらえた価値なのである。
一般的には商品やサービスの価値というのは上記の、実利的価値と情緒的価値の2つであるが、アートの場合はこれに加えて「社会的価値」も加わることになる。
社会的価値
自分が属する組織や集団にメリットがあるようなことを価値と感じられるものを社会的価値と言う。
例えばボランティアや寄付は、社会全体の秩序や繁栄にとってプラスである場合には労力を払ってもよいという考え方である。
クラウドファンディングやSDGs、環境問題のように、実利的価値や情緒的価値といったもの以外にも今後は社会的価値の比重が大きくなっていくだろうと予想されている。
さて、アートのもつ価値を上記のみつに照らし合わせて整理してみよう。
アートには毎日の生活に直接役に立つといったことはないが、実利的価値がある。
例えば、部屋に飾る装飾品としての価値や、購入後に価値が上がりそれを売買したときの金銭的なメリットなどがそれである。
従い、他の商品やサービスと同様にアートには実利的価値があると言えよう。
また、アートは情緒的価値の部分がほかのサービスより大きく、作品に対する感動や共感といったものがキッカケでアートの価値を認めることは多いことは言うまでもないだろう。
さらにアートの社会的価値としては、パトロン的な作家支援、コレクションを美術館に寄贈する文化支援のような社会的ステータスに価値があるのだ。
このように、実利的価値、情緒的価値だけでなく、社会的価値まで満足できる商品やサービスというのはアートを置いてほかにないと言えるだろう。
アート以外でこの3つが揃っているサービスはなかなか頭に浮かばないことからそれは明らかだ。
それほどアートというのは多様な価値を持っている。
だからこそアートは、下は数千円から上は数百億円まで幅広い価格帯を持つことができるのだろう。
アーティストとコレクター
上記のような価値のやり取りをする場合には、アートを作る人(アーティスト)と、それを鑑賞して購入する人(コレクター)といった両者の存在が絶対に必要である。
日本の場合、サービス提供者であるアーティストの数は多いが、サービスの価値に対価を払うコレクターが欧米と比較して圧倒的に少ないのが事実である。
一般的に成熟している市場では、サービス提供者の数よりもサービスを享受する数のほうが多いのだが、今の日本のアート界ではそれが逆となっているためマーケットが広がりにくい状況となっている。
つまり、実利的価値、情緒的価値、社会的価値の3つが揃っているアートではあるが、そのアートを享受すべきコレクターが少ないため、その価値と魅力が浸透していないということだ。
アートの市場を活性化させようとすれば、価値の交換をするアーティストとコレクターのそれぞれに対する施策が必要となる。
食べていけない若手アーティストには、自助努力ができる環境の整備が必要であるし、コレクターに対しては作家や作品に関する情報の提供とデータの可視化が必要だ。
それぞれに適切な施策をしなければ、アート市場は一時的なブームに乗ることはあっても持続的な発展にはつながらない。
今はやりのNFTアートも同じであり、メディアに踊らされてるだけではいつしか流行が終焉することになるだろう。
アートの価値を持続的に上げていくには、市場で価値を交換しあうアーティストとコレクターの両者が能動的に進化し続ける仕掛けが必要なのだ。
さて、次回のコラムでは、日本のアート市場が欧米のように繁栄するにはどのような仕掛けをすればよいのかということを考えていきたいと思う。