モノノケたちの視線の先に
上床加奈の絵に出会ったとき、まず目を奪われるのは、画面の中からこちらを見つめ返してくる“目”である。
じっと見つめてくるその視線は、恐ろしくもあり、美しくもある。
だが、ただの視覚的なインパクトだけではない。
彼女の描く妖怪や幻獣たちは、人間の心の奥にある感情の断片——愛情や嫉妬、誇りや孤独——そうした目には見えないものを目に宿して、こちらに投げかけてくるのだ。
こうした作品世界の背景には、彼女が長年親しんできた日本画や浮世絵の美学がある。
例えば、浮世絵の一分野である「無惨絵」では、血や死といったグロテスクなモチーフが、装飾的かつ平面的に描かれている。
上床はそこに「模様のような美しさ」を見出し、自らの作品へと応用する。
では、その視覚表現はどのように生まれているのか。
彼女の制作は、まずクロッキー帳に浮かんだアイデアを描くことから始まる。
次にA4またはB4の紙に下描きをし、スキャンしてスマートフォンに取り込む。アプリを使って配色のシミュレーションを行い、完成イメージを固める。
そして、木製パネルに水彩紙を水張りし、下描きを転写。アクリル絵具でベタ塗りを施し、最後にミリペンで主線を引いて完成させる。
この制作過程はデジタルとアナログの中間にある。
スマホで配色を練る一方で、実際の画面では、ムラなく丁寧に絵具を塗り、紙から線がはみ出さないよう細心の注意を払う。
線画は3種類の太さのペンを使い分け、強弱をつけることで画面に奥行きとリズムを与えている。
彼女の作品の魅力は、この技術の確かさと構図の設計力にある。
とりわけ視線の誘導が巧みで、目に飛び込んでくるのはまず妖怪の目、そして周囲に広がる装飾的な背景、最後に色彩のバランスへと流れていく。
まるで一枚の絵が、複数の視覚体験を段階的に提供しているかのようだ。
妖怪という“もう一人の自分”
上床加奈がモチーフに選ぶのは、妖怪や幻獣など、実在しない存在である。
だがそれらは決して単なる空想上のキャラクターではない。
彼女にとって妖怪は、自分自身の感情や心の奥にある言葉にできない想いを映す“もう一人の自分”なのかもしれない。
もともと彼女はイラストレーター志望だったが、専門学校で現代アートの授業を受けたことが転機となった。
「自分の世界観を一枚の絵の中に閉じ込める」ことの面白さに気づき、作家としての道を選ぶことになる。
その後、学生時代に妖怪モチーフの作品を制作したことがきっかけで、今の作風が定まった。描いていて一番楽しいのが、妖怪だったのだ。
妖怪というモチーフは、当初は「描いていて楽しいから」というシンプルな理由で選ばれたものだった。
しかし、何度も描いていくうちに、妖怪という存在が自身の感情や無意識と自然に結びついていくのを感じるようになった。
見たことのない存在であるからこそ、そこには何を描いてもいいという余白があり、同時にその自由さが上床の想像力を大きく刺激した。
卒業後は、公募展やグループ展を中心に作品を発表しながら、徐々に自身のスタイルを固めていった。
特に東京を拠点とした展示が増えるにつれて、観客の反応を直接受け取る機会も増え、自身の作品が「他者にどう映るか」への意識も高まっていった。
妖怪の目を通して感情を語るという現在のスタイルは、こうした試行錯誤のなかで自然と生まれていったのである。
影響を受けた作品として彼女が挙げるのは、霧島アートの森で見た鴻池朋子の《シラー谷の者、野の者》。
人間の足が生えた狼が描かれたその作品に、上床は神秘性と力強さを感じたという。
こうした神話的・幻想的なイメージとの出会いが、彼女の中で「妖怪=架空の存在を描く意味」を深めていったのだろう。
前回は「EYES」と題した個展をタグボートで開催し、感情をテーマにした一連の作品を発表した。
怒り、孤独、希望、嫉妬といった人間の感情を、妖怪たちの目に託して描くという試みは、観る者の心を深く揺さぶった。
これは単なるファンタジーではなく、視覚を通して感情と向き合う、極めて現代的なアートのあり方である。
妖怪とは、得体の知れない感情や記憶を映し出す鏡のような存在かもしれない。そしてその鏡を通して世界を見ることができるのが、上床加奈の作品である。
彼女の描くモノノケたちは、今日も静かにこちらを見つめている。そして、私たちの中の「何か」を、見逃さない。
上床加奈「Red」
2025年6月20日(金) ~ 7月8日(火)
営業時間:11:00-19:00 休廊:日月祝
入場無料・予約不要
会場:tagboat 〒103-0006 東京都中央区日本橋富沢町7-1 ザ・パークレックス人形町 1F