
東京藝術大学油画専攻を出たあとに、海岸和輝は画家として一直線に歩んできたタイプではない。
むしろその逆である。卒業後はアパレルの現場に身を置き、やがてデザイン会社に就職し、グラフィックデザイナーとしてのキャリアを重ねていった。
気づけば、キャンバスに真正面から向き合う時間は十年以上、ほとんど途切れていた。
しかしその十年は、決して無駄なブランクではない。
服の色合わせやレイアウトから学んだ「見せ方」の感覚、デザインの現場で鍛えられたPhotoshopのスキル、ミューラル制作や雑貨づくりを通して体に染み込んだ“画面を構成する目”──それらは静かに堆積しつづけ、やがて再び絵画へと戻っていくための下地になっていく。
決定的な転機となったのは、2020年のコロナ禍である。
仕事が激減し、強制的に生まれた「空白」の時間のなかで、彼はようやく自分の中にくすぶり続けていたものと向き合わざるをえなくなる。
「もう一度、絵を描いてみよう」。そう決めたとき、頭に浮かんだのは油絵具ではなく、日々の仕事で使い慣れたペンタブレットとPhotoshopだった。
デジタルの画面上で線を引き、消し、また引き、また消す。
その繰り返しを続けるうちに、海岸は気づく。
絵画にとって根源的なのは、この「線を描く/消す」という行為そのものではないか、と。
画面上に残るのは、描かれた線だけではない。
消した痕跡や、ためらい、やり直しの回数までもが、密度として画面に沈んでいく。その実感こそが、現在の抽象絵画へとつながる出発点であった。
やがてデジタルドローイングから生まれたイメージを、アクリル絵具でキャンバスに置き換え始める。
S60号、S80号と大きな作品を描き上げ、満を持してIndependent Tokyo 2020に出展するも、その時点では大きな成果にはつながらなかった。
しかし、それでも制作の歩みは止めない。むしろ「ここからどう詰めていくか」を考える契機として、彼の中で静かな火種が育っていく。
その火が、大きく燃えあがるのが2022年である。
イメージと技法が結びつき、現在のスタイルの原型ともいえる作品群が整ったタイミングで再挑戦したIndependent Tokyo 2022で、海岸は準グランプリを受賞する。
十年以上の遠回りを経て、ようやく「作家としての道」が現実のものとして立ち上がった瞬間である。
この受賞をきっかけにタグボートでの取り扱いが決まり、個展開催へとつながっていく。
そこからいまに至るまで、海岸は一貫して「色の相互作用」と向き合ってきた。
デジタル上で構成された幾何学的な線と面を、アナログのキャンバスへと丹念にトレースしながら、色同士の“作用と反応”がどのような視覚体験を生むのかを、ひたすら確かめ続けている。

今回の個展「Interaction」は、その探究の現在地を示すものである。
キャンバスやシェイプドパネルの上で展開される抽象形態は、一見するとクールなデジタルイメージのように見える。
しかし実際には、Photoshop上で完成まで作り込んだデータを、線画だけに分解して原寸大でプリントし、それをカーボン紙でパネルに転写したうえで、マスキングテープを使いながら一色一色アクリル絵具で塗り重ねていくという、非常に手のかかるプロセスを経ている。
こうした一つ一つの工夫の裏側には、現実的な覚悟もある。
フリーランスのデザイナーとして働きながら、父親の印刷会社のオペレーションも手伝い、生活を支える仕事とアートの制作を両立させていく。
時間も体力も有限な中で、それでも「アートで食べていく道」を自分の手で切り開こうとする姿勢こそが、海岸の作品ににじむ切実さの源泉である。
学生時代にただがむしゃらに描いていた日々、美術の先生や予備校の講師が語った言葉が、いまになってようやく腑に落ち始めているという感覚も、彼の口からたびたびこぼれる。
「あの頃に蒔かれた種が、ようやく芽を出し始めた」と。その芽を枯らさないために、日々の制作と仕事を行き来しながら、少しずつ自分のペースで育てているのだ。
十年以上、絵から遠ざかっていた男が、コロナ禍をきっかけに再び筆を取り、タグボートで個展を重ねながら、少しずつ「作家として生きる」現実を形にしていく。
今回の「Interaction」は、そのプロセスの通過点であり、同時に新たなスタートラインでもある。
画面上で重なりあう色と形のように、海岸和輝の人生もまた、さまざまな時間、仕事、環境がオーバーラップしながら続いていく。
その重なりから立ち上がる新しい視覚体験を、ぜひギャラリーの空間で確かめてほしい。
そこには、「アートで食べていく」という言葉を、決して抽象論で終わらせない、一人の作家の現在進行形の物語が刻み込まれている。
12月12日(金)からギャラリーにて個展「Interaction」を開催いたします!
海岸和輝「Interaction」
2025年12月12日(金) ~ 12月25日(木)
営業時間:11:00-19:00
休廊:日月祝
※初日の12月12日(金)は17:00オープンとなります。
※オープニングレセプション:12月12日(金)18:00-20:00
※12月18日(木)は、諸事情により18:00閉場とさせていただきます。
入場無料・予約不要
会場:tagboat 〒103-0006 東京都中央区日本橋富沢町7-1 ザ・パークレックス人形町 1F