田村正樹という画家がいる。
1995年生まれの彼は、「世界の有り様を捉える」ことをテーマに、絵を描いている。多摩美術大学を卒業し、東京藝術大学の大学院を修了した経歴を持つが、そんな肩書きは彼の作品の前では、ただの数字や言葉にすぎない。
実際に彼の絵を見たとき、その世界は、言葉よりも雄弁に、観る者に語りかけてくる。
たとえば、彼の作品をひと目見たとしよう。そこには、現実とは少し違う風景が広がっている。
見たことがあるようで、ないような場所。知っているはずなのに、どこか不思議な感覚に陥る。
その理由は、彼の描く世界が、現実と空想の間にあるからだ。
田村正樹の描く「間」の世界
田村の絵は、まるで古い本のページをめくるような感覚を与えてくれる。
中世の写本やレオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチノートに影響を受けたという彼の作品には、過去と現在、東洋と西洋、夢と現実が溶け合い、時間の流れさえ曖昧に感じられる。
描かれているのは、物語の断片のような世界。見ているうちに、「この先には何があるのだろう?」と、思わず想像が広がってしまう。
彼は言う。「私が見ている世界」と「あなたが見ている世界」は同じではない、と。
たしかに、同じ風景を見ていても、人によって感じ方は違う。
晴れた日の青空が、ある人には希望の色に見え、別の人には寂しさを含んだ青に見えるように。
田村の絵も、観る人によって違った意味を持つ。
たとえば、ある作品では、どこかの森が描かれている。
しかし、その森は普通の森ではない。
空は淡く霞み、木々のシルエットがぼんやりと揺らいでいる。じっと見つめていると、木の間から誰かが現れそうな気がする。
しかし、それが人なのか、動物なのか、それともこの世界に存在しない何かなのかは、はっきりとは分からない。こうした曖昧さが、彼の作品の魅力のひとつなのだ。
水と油
田村は「水と油」というテーマを掲げることがある。水と油は混ざらないものの代名詞だ。
だが、彼の絵には、その「混ざらないはずのもの」が共存している。生と死、光と影、現実と幻想——彼はこれらを対立するものではなく、ひとつの世界のなかにあるものとして描く。
これは、まるで夜と朝の境目のようだ。
夜が終わり、朝が来る。でも、その間には、一瞬だけ、どちらとも言えない時間がある。
田村の絵は、その「間」の感覚を表現している。私たちは、普段その境目を意識しないかもしれないが、実はその瞬間こそが最も美しいのかもしれない。
彼の作品には、どこか懐かしさを感じる。
それは、おとぎ話の挿絵のようでもあり、昔読んだ絵本の記憶を思い出させるからかもしれない。
だが、その一方で、どこか不穏さもある。優しさと静けさのなかに、目に見えない「何か」が潜んでいる。
それが何なのか、見る人によって異なるだろう。しかし、その感覚こそが、田村の作品の核心なのだ。
さて、もしもあなたの部屋に彼の作品があったらどうだろう。
朝、目を覚まして最初に見るのが、田村の描いた「世界」だったら。夜、静かな時間に、その絵を眺めながら、物語を想像することができたら。あるいは、友人が訪れたとき、その作品を見て「これってどんな物語なの?」と会話が生まれるかもしれない。
田村の作品は、ただ飾るためのものではない。それは、見るたびに違う表情を見せ、新しい発見を与えてくれる「窓」なのだ。そこから見える世界は、昨日とは少し違うかもしれない。
そして、あなた自身の「世界」もまた、揺らぎながら、少しずつ変わっていくのだろう。