前回まで2回に渡って書いてきたコラムのタイトルが「アート市場とパトロン文化」だ。
しかし、第3回となる今回で、タイトルを「パトロン文化」から「サポーター文化」に変えてみた。
なぜ変えたかというと、日本における「パトロン」という言葉の意味に「パパ活」のようなニュアンスがあるからだ。
パトロンのそもそもの意味は「後援者」。一般的には、経済的な支援をする人のことを指すのだが、通常は見返りを期待しない行為だ。
起業家のパトロンに近いものとして個人投資家がある。
「ココ・シャネル」や「イブ・サンローラン」という世界的に有名なクリエイターも投資家によるサポートを受けていた。
「パトロン」という存在にあやしい雰囲気を感じる人が多いのも事実。努力なく名声を得たとか、実力もないのに… というように、「パトロン」がいるがゆえに、逆に評価を得られない場合もある。
前回も書いたのだが、アートのパトロンには見返りを求めないのだが、そのアーティストが売れっ子になって、購入した作品の価値が上がって、結果として経済的な利益を生むことがある。
投資としてのアートとの違いは、主目的の設定である。
投資だけを目的とした場合に、作家本人を気に入らなくても、将来的に上がるという「情報」を元に買うことができる。そこに感情が入らなくてもよくて、作家と直接顔を会わせる必要もない。
東証の株式銘柄をデータだけで買ってるようなもので、そのほうがリターンが大きいかもしれないが、「面白味に欠ける」ということもある。
アートの場合は、まず人気があって売れているという基本情報があって、そこで作品を見てからほしいものを買うということだ。つまり情報で買うということだ。
そういうマーケット的な事前情報を持たずに、アーティスト個人と作品だけを個人が評価して買うということが、サポーター的な買い方だ。
もちろんそのほうが値上がり率が高くないかもしれないが、そのアーティストの将来性に期待して買うという「粋」の文化なのであり、そこに感情が入ってくるのだ。
近い将来には、AIを駆使して、作品情報の画像とデータを元に投資として作品を買うコレクターも出てくるだろう。
そうなると、誰もが上がると期待するデータに基づいてAIが動くので、多くの場合かなりその情報が被って集中してしまうことになるかもしれない。工業製品であれば、顧客のニーズの量に基づいて生産数を増やせばよいのだが、アートはそうはいかないので、AIが購入すべきと指し示すアートは常に入荷待ちだ。
感情が働かないアート購入となると、「過去データに基づいた推測」でアートを買うことにつながる。
失敗率は低いが、誰もが欲しがりそうな面白味のないアート作品ばかりになるだろう。
そうすると、価格が上がり過ぎた作品の暴落ということも普通に起こりえるのだ。
投資としての側面ばかりでアートを買うというのはリスクを軽減できるようで、大衆消費社会にはマッチしない問題があることを理解しよう。
そういう中で、作家個人というパーソナリティに主軸を置いたサポーター的なアートの買い方は徐々に増えていくに違いない。
明日からアートフェア東京が開催されるが、そこでは情報によって人気に火の点いたアート作品の購入競争が一部で繰り広げられるだろう。
一方で、気に入った作品の作家に、別の有力コレクターや著名な美術館のキュレーターを紹介することで、それまで埋もれていた実力のあるアーティストを世の中に紹介する機会を作るコレクターも現れるだろう。
そういった人間関係や、個々の「推し」の強さまではAIでは計り知れないものであり、想像を超えるような展開を楽しむことができる。
スポーツのようにルールを元に数値で結果を求める競技とは違い、数値化での比較が難しいアートだからこそ、人間臭さが残るのである。