現代アートはサブカルチャーをもとにその派生として出てくることが多い。
例えば、消費社会を拡大させる広告(POP)からポップアートへ派生したアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンシュタインなどがその先駆けだ。
もちろん、ニューヨークやロンドンの街中でのグラフィティ(落書き)から派生した、キース・へリング、ジャン・ミシェル・バスキア、バンクシーなどは有名である。
グラフィティに代表されるストリートアートは、音楽、ファッション、映像、といったエンタテインメントの中でもサブカルチャー的なものからも強く影響を受けるようになっており、近年生まれてくる新しいアートの形態は、このようなサブカルチャーから来るものがかなり多くなっている。
日本のサブカルからアートへ
今回のコラムでは、日本のサブカルチャーから新しいアートが生まれるのかについて考えてみたい。
村上隆が2000年に世界に提示した「Super Flat」というコンセプトも、日本のオタクカルチャーを現代アートのパッケージに移し替えたものであり、オタクカルチャーを欧米の美術史の中に位置づけることに成功した例といえるだろう。
現代アートの歴史は欧米人の考える美術史の中で繰り広げられているという事実は避けようのないことであり、日本のサブカルチャーを現代アートの文脈に乗せようとすれば、欧米の美術の専門家によって論評され浸透させなければ始まらないのだ。
例えば、具体美術は戦後すぐの1954年から吉原治良が始めたものであり、国内では一定の評価は得られたのであるが、欧米での評価は2013年のグッゲンハイム美術における回顧展がきっかけとなってようやく再評価がされたのである。
つまり、具体美術は40年以上の月日が経つまで欧米の論評からは「発見」されずに残っていたのである。
このように日本国内の現代アートの系譜は欧米の美術史とはかけ離れたところに存在するものが多い。
村上隆がSuper Flat展を2001年にロサンゼルス現代美術館別館で開催しなければ、おそらくオタクカルチャーがハイアートになることはなかっただろうし、具体美術がグッゲンハイム美術館で回顧展を開催していなければブームになることもなかっただろう。
日本国内の展示だけでは、欧米の美術史に載ることはないことを歴史が証明しているのである。
海外での展示がすべてのスタート
いまオークションを中心に価格が急上昇しているイラストアートというカテゴリーは国内で人気が高く、さらに中国人の富裕層から高い価格で落札されているが、欧米での展示がないため評価さえされていないのが実態である。
また、シティポップ調のイラストや江口寿史のオマージュのようなアートは、日本の80年代前半のリバイバルのようなものであり、そこでのオリジナリティを追及すると40年間も時間の針を戻す必要があるのだ。
美術手帖(2019年6月号)によると、バブル一歩手前の80年代の日本のアートは、若い世代による新たな表現への挑戦が様々なジャンルで発生して、「ニュー・ウェイブ」とよばれる現象が起きていた時代だったとのこと。
「もの派」の70年代と、村上隆らに代表される「ネオポップ」の90年代の間のちょうど過渡的な時期にあり、実態がとらえにくい時代だったとも言えよう。
当時、熱狂的な盛り上がりを見せていたイラストの公募展「日本グラフィック展」では若者のエネルギーが集結しており、アートだけでなく周辺のカルチャーとしてPARCO文化のような変化が生じていたのだ。
まだこの時代のアートは海外ではほとんど紹介されていないのが現実である。
一部ではあるが当時の「へたうまブーム」を牽引した作品の一部が展示されるWAVE展といった現代の日本のイラストをロサンゼルス、サンパウロ、ロンドンなどで巡回展をする試みがなされている。
タグボートが取り扱い作家のうち、特に若手アーティストを中心とした新しい展示を日本橋三越前で「アート解放区」のタイトルで開催しているが、こういった取り組みも海外で展示しなければ欧米による評価のスタート地点に立てないのである。
現在は日本が鎖国政策をしていることからなかなか海外での展示が実現できないが、今のうちに準備をしておく必要を感じている。
アート解放区 日本橋 2022
【開催概要】
日程 2022年4月15日(金)~5月20日(金) 11:00~19:00
※月曜定休 (4月18日、4月25日、5月9日、5月16日)
※5月2日(月) は開催します。
会場 三越前福島ビル (東京都中央区日本橋室町1丁目5-3 福島ビル 1F)