ここ最近のイラストアートのブームのひとつのカテゴリーとして「今どきの若い女性」をモチーフとした絵画が人気である。
その中でも女子中高生を対象として描かれた作品がトレンドとなっている。
しかしながら、そのような作品を鑑賞したときに感じる違和感がある。
描いている側の作家の大多数は中年の男性であり、年齢的にも若い女性の内面を本当に理解して作品を制作しているかが微妙だからだ。
平成時代を生き抜く女子を外から見て、表面的な部分のみを描いているようにしかみえない。
彼女らが持つ独特の世界観が如実に表現されておらず、描かれたイメージは年配世代から見ると不思議なベールにまとわれたままなのだ。
メディアが報じるようなステレオタイプの女子中高生を描いた作品は、同時代を生きていない人が描くと具体性に欠けるため、生々しさが感じとれないのだ。
さて、ここで言う「平成女子」とは平成10年前後に生まれた世代である。
バブル経済を謳歌した大人達の子供にあたる世代であり、携帯電話、小型ゲーム機などに幼少のときから親しみ、アニメおたくが当たり前である時を過ごしてきた。
40代以上の男性からはほぼ理解できないルールや世界観を持っている。
この世代にとっては、イラストとかアートといった区別はまったく意味を持たず、また二次元と三次元の世界を自由に行き来しながらその境目さえも曖昧になっているのだ。
時代を生き抜く女性を赤裸々に描く
平成女子を生き抜いてきた本人であり、その実態を体験した世界をそのまま表現しているのが、佐藤しなである。
佐藤しなの作品は、ぱっと見だけでは普通の女子を描いたイラストのようにも見える。
が、よくよくその作品を観察すると、そこには時代を駆け抜けた平成女子の実生活そのものを執念のように描いていることが分かる。
リアルな生活のワンシーンを切り取っている作品であるが、それは人間のある一面を見せるというよりも、表と裏のどちらも余すところなく如実に表現しているのだ。
佐藤しなが描く人物の背景には、退廃的な生活、慣れ親しんだグッズ、ゲーム、キャラクターが満載している。その時代に存在していたもののすべてを、一枚の絵の中に描き切ろうとしているかのようだ。
デジタルによる手描きであるが、写真からトレースしたものは一切ない。
正確に描きうつす技術力も高いのだが、ペンタブ上に緻密に描いている風景は集中力が続かないと出来るものではない。
化粧品売り場の商品、食品パッケージ、ゲームセンターの景品、おジャ魔女どれみのグッズなど一つ一つのモチーフはすべてゼロから正確に描いている姿を想像すると執念さえも感じるのだ。
佐藤しながこの時代に伝えようとしているメッセージは何だろうか。
平成を生きる女子の不安や葛藤、または心のオアシスなのかもしれない。
一方、この時代の風景そのままを隠すことなく歴史上に残そうとしているのかもしれない。
高すぎる解像度
佐藤しなが本格的にアート作品の制作を始めてまだ2年ほどというのも驚きだ。
作品から感じる圧倒的な集中力と執念は、技術の高さといったものを超越している。
また、個人の経験から得られた独特の世界観を構築する力が図抜けており、これは特筆すべきことだろう。
例えば、2010年前後の平成女児を描いたこちらのイラスト。当時の女児たちの間で流行したものが目白押しになっている。
本人曰く「最近の小学生が使っている文房具やファッションが平成のものとはだいぶ雰囲気が違うので、平成はこんな感じだったなあと思い出しながら描きおこしてみた」
とのこと。
圧倒的な解像度で当時の女児で流行っていたものをさらさらとイラストで表現してしまう力は見事だ。
ちなみにこちらは、佐藤しなのTwitter投稿で、750万を超えるユーザーが閲覧している。
同世代の女子からの共感がここまで集まるとは驚愕でしかない。
さて、時代は平成から令和となってすでに4年が経過したが、これから先は令和生まれの女子の時代が始まる。
そうなると、平成女子の時代の流行はすでにレトロとなり、懐かしい時代といったものに入れ替わるのだ。
その時代をより生々しく、高い解像度で残していく佐藤しなのアート作品は、後になって語られるものではなく、平成の申し子の代表として今を伝えていく役目を担うことになるのかもしれない。
まさに時代の寵児なのである。
佐藤しな Shina Sato |
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