年の瀬となったこともあり、この一年のアート界のトレンドを振り返ってみようと思う。
あくまでこのトレンドは日本国内のみのことであり、海外とはまったくと言ってよいくらい違う。
日本のアートマーケットは独自のガラパゴス状態となっており、海外からの影響を受けることはあっても海外に影響を与えることはほぼない。
そこを理解した上で、日本のこの1年の足跡をたどりそれが海外のトレンドと比較してどのように乖離が進んでいるかを考えるのがよいだろう。
■ 原宿界隈に新しいギャラリーが出現
新しいギャラリーが原宿地区に散在する形で増えたのが今年の特徴だ。
天王洲アイル地区でもギャラリーが増えているが、それは寺田倉庫が用意したスペースにギャラリーが入居したということであり、上記の原宿地区とはニュアンスは違う。
寺田倉庫が自社でアート企画を開催するほか、すでに入居しているギャラリーとの相乗効果でアートファンの来場者が増えているようだ。
都内ではあるけれど決して足の便がよいといえない天王洲界隈であるが、美味しいお店やおしゃれなショップが少しづつ集まってくることができれば、アートだけではなくそれ以外を目的とした人もアートの楽しみを知って新たな集客につながるだろう。
一方、原宿はファッションの街、若者の街としての歴史があるが、これまではアートギャラリーがあまりなかったところに今年になって新しくオープンするところが増えてきた。
寺田倉庫のように同じ建物への一極集中ではなく、あちこちに点在する形で新規のギャラリーが開店している。
これはギャラリーターゲットという以前セカンダリーを中心に販売していたギャラリーが原宿に拠点を構えていて、ロッカクアヤコ、KYNEといったアーティストで人気に火がついたところに、NANZUKAのような海外のアートフェアで活躍しているギャラリーが旗艦店舗を原宿にオープンさせたことが大きい。
NANZUKA以降は、イラストやストリートアートを中心としたギャラリーが原宿界隈に次々と出現している。
この現象は、以前のファッション業界における「裏原宿ブーム」に似たところがある。
裏原宿ブームは当時、藤原ヒロシがキーパーソンとして発信し、1990年後半〜2000年代にかけて今の表参道ヒルズの裏側に多くのショップがオープンして流行していたストリートファッションだ。
「A BATHING APE」のようなカリスマブランドが生まれ、ストリート調のアイテムと迷彩柄が大人気となった。
裏原宿系はどのようなものが流行っていたのかと思い返してみると、とにかくそのブランドと分かるロゴやイラストが全面にプリントされているものが人気だったのだ。
UNDERCOVERやNEIGHBORHOODなど一部は残っているものの、ほとんどの裏原宿ブランドが今では消滅している。
一時的なブームに終わってしまった裏原ファッションは、分かりやすいロゴやイラストに若者が飛びつき、古着でも当時はとんどもない高い価格で売買されていたようだ。
この裏原宿ブームと日本のアート界で似ているのが、分かりやすいシンボリックなアイコンと、異常なまでの作品の高騰である。
当時から学ぶべきは、ストリート系は「熱しやすく冷めやすい」という特徴であり、それは欧米においてでも同じであるということだ。
また、裏原系ファッションはそのほとんどが海外では受け入れらないままで終わったことがマーケットの広がりに繋がらなかったことかもしれない。
現代アートが日本のストリートファッションの歴史と同じ轍を踏まないように状況をじっくりと観察する必要がありそうだ。
■オークションで勢いがとまらないイラストアート
国内だけであるが、各オークションハウスでのイラストアートの落札価格の高騰は昨年に引き続き今年になってもとどまることがない。
KYNE、Backsideworks、LY、TIDE、ハシヅメユウヤなど、80年代の漫画をパロディーにしたような分かりやすいイラストが流行している。
この傾向はコロナ禍で収束すると思いきやそんなことはなく、海外に出かけることができない中国のコレクターがプライマリーの作品を日本で買えないためにオークションで高値でも買っていると聞く。
彼らの熱狂的な競争から影響を受けた日本のコレクターがさらに煽られてこぞって買っているという噂もある。
初期作品を持っているコレクターからすると3年で10倍近くになっている作品もあって、ある意味で異常なまでの人気ぶりだ。
これを漫画やアニメから大きな影響を受けた村上隆によって展開された現代アートと比較してみよう。
村上隆が2000年代に仕掛けた、SUPERFLATというコンセプトは日本のサブカルチャーのハイアート化であるが、これはロサンゼルス現代美術館や、ニューヨークのジャパンソサエティーといったアートの本場での展示企画と、作品コンセプトを説明する分厚いカタログがその価値を裏付けることで成り立っている。
最初から欧米のコレクターに受け入れられることを目的として始まっており、決して日本発のブームからではないのだ。
ウォーホールの時代からサブカルチャーをハイアート化する試みで成功している例は多くあるが、それにはコンセプトを理論立てて説明する力と綿密な戦略が必要であったことは間違いない。
日本発のアートブームが世界に認めてもらうにはそれなりのお膳立てが必要であることを我々は知っておくべきであろう。