アート投資にパトロン文化を注入する
タグボートは2019年頃から「アート投資」という単語をあえて多用するようにしてきた。
インテリア目的で買っている国内のアート市場に未来はなく、将来的な作品の価値を見込んで買うことで市場が拡大することは、先行する欧米はもちろん、成長するアジア市場で実践されていることであり、それを推奨してきた。
アートは購入後に価値が下がるもの、胡散臭いもの、というこれまでの世間の見解を払拭することが目的である。
「教養としてのアート、投資としてのアート」、「現代アート投資の教科書」と書籍を続けざまに出版したり、テレビでアート関連のバラエティー番組に出演することで、アートが投資になる得るという考えを広めてきたつもりだ。
そこには明確な目的があって、「そうまでしなければ、国内のアート市場は動かない」という認識があったからだ。
おかげさまで、アート投資という言葉が日本にも浸透し始めた。が、一方で、「どうやらアートは儲かるらしい」という目的だけで買う「にわかコレクター」も増えてきた。
もちろん、アートは「投資」になり得るが、「投機」的な考えで買うことはリスクが大きいことは何度もこのコラムで述べてきたつもりだ。
それでも、ただ「分かりやすい」という理由で、イラストアートを選ぶ「投機」的なコレクターが大量発生したのは事実である。
それは「アート投資」という単語だけが独り歩きをした結果であり、それはタグボートとしても遺憾に感じている。
どの時代においても、地に足が付いてないブームとバブルは繰り返すものである。
しかしながら、ブームを俯瞰的に観察し、冷静に判断して素晴らしいアートを買っているコレクターも大勢いる。
そんな中で、今の日本のアート市場に活を入れるコンセプトは、「アート投資」に「パトロン文化」を注入していくことだと思う。
これからの時代のパトロンとは
新しい時代のアートの支援者コミュニティとしての「パトロン」は、よくある金銭的支援だけではない。
パトロン側のアイデアやこれまでの経験値からのアドバイスなど既存の枠組みに囚われない支援である。
「創造していく」コミュニティだと言っていいだろう。
単にアート作品の経済的、物質的担い手ということだけでなく、アーティストを理解し、作品を評価して、アーティストに支援を与える人々のコミュニティをパトロンと呼びたい。
パトロン文化には才能のある作家を支えるという意味合いが強いが、これは才能に対してきちんとお金をかけるということだ。
そこでは資金としてリターンされる堅実性はない。もちろんゼロになるかもしれない。
でも才能がある人間をほっといておくことは「悪」だと感じる人もいるのだ。
そうすると、単純に「買う」という行為だけで終わることなく、その作家の作品を多くの人に見てもらいたい、有力なコレクターや美術関係者に紹介したい、ということになる。
コレクターのパトロン的行為は、ギャラリストが通常行っている領域をも浸食することになるのだが、それは悪いことではなくて、今後もどんどん浸食されていくべきであると認識している。
企業は文化のパトロンとなり得るか
資生堂の元会長である福原義春氏は、「もはや経済が人間に優先する時代は終わった。人類の発展は文化を抜きにして語れない。世界のどんな民族・国家も、いまこそ文化の重要性を認識し、文化を中心に据えて未来社会をデザインすべきだ」と語った。
また、「経済は文化のしもべである」として、企業の利益はその使い道こそが大事といったのはベネッセの福武總一郎氏である。
経済優先で葬ってきた文化こそ、人として国として大切にするべきだ、という哲学を持っている日本人経営者は少なく、彼らのような創業者一族だからこそ出来ることかもしれないが、経済による利益を文化に還元することに強い意志を持って実現していることは特筆すべきことである。
海外では、コングロマリット化した企業グループが文化を育む役目を負うことは当然の行為とされており、イタリアのメディチ家はアルベルティ、ドナテッロ、ボッティチェリ、ダヴィンチ、ミケランジェロといった名だたる芸術家たちを保護・支援し、フィレンツェでの地位を確立するとともに、結果的にルネサンス文化の繁栄にも大きく貢献させたのだが、それも遠い昔の話だ。
日本にもこのような文化を根付かせるために、アート投資のコンセプトを広めた時のように、日々啓蒙活動を続けるのみである。
パトロン文化をエンタテイメントとして楽しむことについては、以下の以前のコラムを参照頂きたい
https://tagboat.tokyo/collectorinformation/entertainment-of-art