現代アートのプチ・ブーム
コロナ禍時代に日本においてプチ・アートブームが勃興したのだが、残念ながらその盛り上がりは短期で終結することとなった。
旅行や飲食、ライブ、スポーツ観戦など様々なエンタテイメントが楽しめない状況では、余ったマネーの行き先の一部が現代アートの購入に繋がったのだ。
それまであまりアートを鑑賞した経験のない方が「分かりやすい」「既視感のある」作品に走り、いわゆる原宿系と言われるイラストアートのブームとなった。
原宿系アートは、国内のオークションハウスでは人気が高くもてはやされたものの、クリスティーズやサザビーズといった海外の一流オークションハウスからは受け入れられていない。
一時的な現代アートブームは底の浅い流行にとどまってしまい、本格的なアートコレクターが数多く出現するには至っていないのだ。
コロナ禍が終わって、自由にエンタテイメントを楽しめるようになると、ブームは沈静化して、次の波が来るまで待つことになるのだろうか。
年初は金融投資の運用益約20%が非課税となるNISAやIDECOを始める人が増えたことで、日経平均株価は34年ぶりの高水準となった。
しかし、実体経済と株価とはまだ大きな乖離がある。
景気とは関係なく、物価上昇と増税による賃金の実質的な減少によってスタグフレーションへと突入している中で、アートのようなぜいたく品市場が拡大する兆しは見えてこない。
そういった状況ではあるが、唯一明るい未来が見えているのは「パトロン文化」の萌芽が日本でも始まっていることだ。
「推し」文化から「パトロン」文化へ
ここ数年で「推し活」という言葉をよく目にするようになった。
そもそも推し活とは、アイドルやアニメなどの「推し」を様々な形で応援する活動のことを指す。
今となっては熱狂的なアイドルやアニメファンのみならず、比較的ライトなファン層まで、幅広いジャンルと世代で使われる言葉へと進化した。
推しがいるZ世代の割合は8割を超えると言われおり、推し活をしていることはZ世代にとって当たり前となった。
推しを全力で応援するのは恥ずかしいことではなくなり、むしろ自分のアイデンティティを表現する手段のひとつとして今ではポジティブに受け入れられている。
「推し」の本来の意味は「他人に推薦する」なので、「推し」を公言する人はただのファンに終わらず、推しをたくさんの人に知ってもらうために行動を起こす。 具体的には推しの情報をSNSで拡散したり、友達を誘ってイベントに行ったり、いわば「エバンジェリスト(伝道師)」としての役割を果たすことになる。
推し活への強い貢献意識や応援意識が存在するのも今どきだ。ファンは、お金やエネルギーを「貢ぐ」ことで運営に働きかけ、そのコンテンツをもっと盛り上げていこうとする意識をもつ。
その意識があるからこそ、彼らは当事者意識を持って、自主的に推しの魅力を広める役割を担ってくれるのだ。
現代アートも同じように、熱狂的なファンによる「推し活」が増えていくのは間違いない。
ただし、アイドルやアニメのグッズとは違って、推しに使う金額の桁が変わってくるので、Z世代がライトに推せるものではない。
どちらかというと、「パトロン」に近い形態で「推す」ということになるだろう。
さて、パトロンとなると、通常のファンとは違って、「推し」であるアーティストを経済的、精神的に保護、支援し、後ろ盾となる意味となる。保護者または後援者といった感じだ。
歌舞伎の「贔屓筋」、相撲の「タニマチ」は明治初期の頃から存在していたが、それでもまだ日本では見返りを求めずに支援するという本来の意味のパトロンにはなっていない。
さて、欧米では高い社会的地位の人には「ノブレス・オブリージュ」が求められる。
ノブレス・オブリージュとは、一般的に「財産、権力、社会的地位を持つものは社会的義務が伴う」という意味である。元々は西洋貴族等への啓蒙として、自発的な無私の行動を促す言葉であった。
「財産、権力、社会的地位」というものは、自分自身の能力ではなく、社会から与えられたものであるから、自己を犠牲にしてでも果たすべき社会的義務があるという考えなのだ。
従って、欧米の富裕層は積極的にアーティストのパトロンとなっており、そういう行動が当たり前に捉えられる。
まだ日本ではパトロン文化は根付いていないのは、個人より企業の行動が優先され、そちらの規模が大きいことが理由だ。
企業によるアートコレクションがこれから活発化されることで、それに扇動された新たなアート市場が形成されることになるのが日本の特徴かもしれない。
流動的で世論に流されやすい従来の推し活的な熱狂よりも、シビアで冷静なパトロンが増えていくことが望ましいし、「推し活」の流れが、「パトロン文化」の始まりとなりつつあることをアート市場は期待している。