一枚のキャンバスに物語を描き切る
タグボートの中で新しく登場したアーティストの中で、オーソドックスな絵画のように見えて、よくよく観察すると「おやっ」と思わせる作家がいる。
現在、東京藝術大学の大学院に在学中のオクヤマコタロウだ。
筆者は彼のもつ類まれな才能を、藝大の卒業制作展ではなく、昨年夏に開催されたGEISAIで発見した。
そこには「絵を描くとは何ぞや」を考えさせる不思議な作品が展示されてあったのだ。
上記に描かれている横長の作品は、絵を描いている本人と絵の具が付いたパレットとがそれぞれ分かれているように見えるが、実はこれは一枚のキャンバスに描かれた油彩の作品である。
オクヤマコタロウの作品は、絵の具などの画材が絵に変わっていく瞬間をとらえたものである。
まずは、キャンバスにパレットの絵を描き、チューブから出した絵の具をそのままキャンバス上のパレットの絵に出す。
そのキャンバスの上に出した絵の具で自分自身を描いているのだ。
オクヤマコタロウは、絵を描くという行為を一枚のキャンバスに描き切ろうとすれば、彼自身とそれを描くための使った絵の具までをキャンバスに残す必要があった。
一般的にはキャンバス上に描かれたものだけが「絵」なのだが、彼から見るとそれは一部に過ぎず、使われた画材やモチーフなども絵にしてしまうことで全体の物語を見せようとしている。
従い、キャンバスには使いかけのパレットの絵の具がそのまま残ったまま完成するということだ。
上記の2点の作品も同様である。それぞれ一枚のキャンバスに描かれたものだ。
イーゼルの上に置いたキャンバスとパレットを静物画として写実的に描いたものだが、もちろんここでも絵とした描いたパレットの上の絵の具を使って完成させている。
キャンバスの背景も写実的に描いているので、まるでキャンバスに向かっている本人が撮った写真のように見えるだろう。
絵を描くという行為を一枚のキャンバスの中にストーリーとして描くことは、作者が鑑賞者に対して仕掛けた「だまし絵」のように感じてしまうかもしれない。
通常我々が見る絵画というものはアーティストが描く完成品であり、その過程については分からないままだ。
しかし、オクヤマコタロウは自身が作る作品の中で、「絵を描くとはどういうことなのか」を俯瞰的に観察して鑑賞者に見せようとしているのだ。
絵画は絵の具で描かれていることが多いが、そういった画材については誰からも興味を持たれないことが多い。
どのような絵具を使っているか、使う過程でどのようにしているのか。
彼の興味はそういった全体のストーリーに行ってしまう。
つまり絵を描いている行為そのものも含めてアートなのだ。
美大受験の壮絶な競争をシニカルに描く
オクヤマコタロウの絵には美大受験の壮絶なデッサンの競争を、別の捉え方によってクールに表現している。
例えば、以下の2点の作品はぱっと見では何を描いているか分からないだろう。
しかし、これは美大生なら誰もが分かる「あるある」であり、実はデッサンの試験で使われる「木炭」なのだ。
言うまでもなく、こちらの作品は木炭を使って紙に描かれたものだ。
美大受験では石膏像などをモチーフに木炭デッサンで描くことが多いのだが、あえて描く道具としての木炭をまるで受験生が描くように忠実に模写している作品なのだ。
美大受験はデッサンの技術を競うことが目的化されており、藝大を目指して浪人を重ねている受験生からすれば、ミロのビーナスやマルスなどの典型的な石膏像は何十回も練習しているので実際に見なくても描けてしまうらしい。
しかしながら、残念なことに現代アートのプロを目指すのであれば、美大受験に時間を尽くした技術力は大学に入学するとたちまち無力化してしまう。
何のために作るのか、何を伝えたいのかという目的が必要であることを大学では求められるからだ。
そのような受験教育の矛盾を「木炭を使って木炭を描きこむ」という行為によって表現しているのだ。
ホンモノを見ずにデジタル画像を見て描く
対象とするモチーフを見て作品を描くときに、最近は下描きはもちろん絵の具を使う段階でもiPadなどのタブレットに写った画像を見ながら描くことが増えている。
そのほうが手元にあるので描きやすいというのもあるし、さらにはタブレット上の画像を指で拡大することで緻密な部分を見ながら表現することが可能となる。
または別のiPadで写された画像とを組み合わせて作品を表現することもあるだろう。
以下もオクヤマコタロウが一枚のキャンバスに描いた作品だ。
最近の若い作家は対象とするホンモノを見て描いているのではなく、iPadに写された画像を見て描いているという事実をこの作品によって我々は気付くだろう。
そして、そのiPadの画像もGoogleの画像検索などで写されたコピーなのかもしれないのだ。
そうすると、モチーフとされていたものがコピーのコピーであり、さらにそれを元に写実的に絵画を描くことになる。
オクヤマコタロウはこのような矛盾を一枚のキャンバスに全て描くことで、美大受験で信仰されている単純な技術競争の持つ問題をそっと教えてくれるのだ。
オクヤマコタロウ自身も技術競争を勝ち抜いて東京藝術大学の油画に合格し、そこから大学院へと進む中でこれから美大生を目指す高校生や浪人生に警鐘を鳴らしているのかもしれない。
彼の描く作品がこれからどのように変容していくかは未知数であるが、少なくとも絵を描くという行為が何なのかをさらに突き詰めてコンセプトが練られていくだろう。
これから本格的なプロのアーティストとになるオクヤマコタロウの進化の過程を作品をコレクションしながら見ていくのもよいだろう。
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