タグボートの阪急メンズ東京のギャラリースペースで個展「Memento mori」を開催中の橋本仁さん(9月5日まで)。展覧会のテーマになっている「メメント・モリ」、つまりは「死を忘るなかれ」が単に暗いだけメッセージではなかったように、美しい作品や作品の配置にも橋本さん流の深い思いや時にはちょっとした皮肉が込められているようです。今回は作品展示に込められた作家の思いや意図を聞いてみました。鑑賞のヒントにしていただければと思います。
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ーこれまでずっと創作の根幹にある本質は変わっていなくて、人間というのは生と死の間にあって「私はいつか死ぬ」という前提を踏まえること、そして壮大な世界の大きなサイクルの中の小さく儚い存在である自分を受け入れると、同じような他の存在も意識できるようになり、もう少し世界に対して思いを巡らせられるのではないか、ということだと理解しています。
そうですね。作品を作る上でいつも軸になっているのは、個々の存在が現在という瞬間に真摯に向き合って、何を考えてどう行動するのかということの重要性です。そして、まずは自分の存在確認として、木を掘ったり鉄パイプを捻ったりとかかった時間が想像されるような行為の痕跡を作品にすることで、時間の蓄積を見せる、ということをしています。
展示会場の作品を反時計周りに見ていくと、最初の平面作品には「Memory Code」というシリーズからの2点を選びました。特に最初の作品は掘った木のキューブで表面を覆っていて、下にある絵の具の蓄積と合わせて「圧倒的な時間の塊」として登場させました。もう1点では、流れるようなイメージがキューブの下にあります。これは、フランスの哲学者バシュラールの思想を意識して、流れ去る瞬間としての現在を表しました。一方で、壮大な流れ、つまりは人類史、地球史、宇宙史のイメージでもあります。世界は辿れるものだから愛着が湧き、例えば大昔の先カンブリア時代のストロマトライトという岩石のような生物まで私たち人類は遡れるかもしれないという観念が大事なのではないかと思います。ちなみに、平安時代の紀貫之は賀茂祭のお祭りそのものよりも後の散らかった残り香が良い、というようなことを言っていたようです。形代や見立てにつながる感覚で、僕が木のキューブを掘って存在の質量を削りながら、残った痕跡に「在るはずの質量」を見ているのと通じるものがあると感じています。
ー展示を見ていくと、次は「Memory Code – Chain」というシリーズの作品があります。まさに木のキューブの痕跡が鎖状に並べられています。
「Chain」のシリーズは、先の2点と同じように時間の蓄積や流れも引き続き表現していますが、その上に「鎖」を置いています。この鎖は、実は生命の設計図とも表現される遺伝子をモチーフにしています。特にこのシリーズからの最後の1点では、ほんわかとした牧歌的な背景に、本来は相補的な二重らせんの遺伝子が崩れていっています。続く「Memento mori」シリーズの「死」への繋がりを感じてもらえるのではないでしょうか。
人間が生きるために農業や畜産業は不可欠ですが、これらは実は一番の自然破壊の要因になっているという人もいます。牛のゲップに含まれるメタンガスが地球温暖化を引き起こすという話を聞いたことがあるのではないでしょうか。森林を切り開いて畑や牧場にすると、森林が持っていた機能が失われてしまうので環境負荷は小さくないそうです。こうして人は自然を破壊しながら、その上さらに遺伝子の組み替えなどの技術も使って食料の安定供給を手にしました。本当はみんな、今の幸せを願っているだけの愛しい一生命だったはずだったのに、それが地球環境にダメージを与えてもはや「自然」とは言えない食物を口にしていて、結果的には地球の未来を危うくしてしまっています。
続く「Memory Code -seeds」も、根幹では「Chain」シリーズと繋がっています。光が当たって煌めいている樹脂の部分は水面のようにキラキラしていて綺麗ではないでしょうか? でも、遺伝子操作などで均一化されたタネは、さながら無機質なパチンコ玉のようだという皮肉を実は込めました。日本でも遺伝子操作された作物を加工した食品が出回っていますが、私たちの選択を歴史の1ページとして留めるためにもこうした作品にしました。
ー科学技術に対して懐疑的な見方が込められていますね。とすると、続く作品「Cosmic Code – reflective mirror #1」を覗き込むと見える「Technology can solve all of our problems: テクノロジーは私達が抱える全ての問題を解決する」もそのまま受け取ってはダメですね。
この作品で見える文章は、実は鏡に映し出されています。鏡像で虚像なんです。そんな虚像であるテクノロジーを信仰し、手にするために一生懸命になっている人間の行為を皮肉っています。
一転して最後の「Cosmic Code – Black Circles」では、テクノロジーから離れてアマテラスオオミカミの神話をモチーフにしました。天岩戸神話ですね。作品の中の黒い丸は日食の太陽です。外が賑やかで楽しそうだからアマテラスは天岩戸を開けて洞窟から外に出てきたわけですが、現実の世界はそんなに楽観的でもないのではないでしょうか。アマテラスは出てきてくれないかもしれません。
ー今回の展示には立体作品もありますね。
真ん中に置いたのは、鉄パイプのキューブを金色にした「Memory Cube」です。金色には様々な意味がありますが、ここでは浄土をイメージしています。浄土に往くことは「生まれる」ことと表現されます。そしてこの浄土は、展覧会という空間では「Memento mori」と鹿の頭骨の作品「Cosmic Code – Deer’s memory #2」の間にあります。鑑賞者の方には、金色の「生」の始点と、骸骨が表す「死」の終点の間にいるということを体感してもらえればと、こんな構成にしました。
ー一見綺麗な作品が実は…というものが多いですね。
皮肉は説明が必要で、受け入れられにくいこともあると思うので、そんなに説明はしていません。でも、作品の外観が美しいと余計に皮肉は生きてきますね。もちろん作品がヴィジュアル的にある程度かっこいいものであること、美しいものであることの重要さも意識しています。伝えたいことがすぐに伝われなくても、まずは興味を持ってもらうことは大事だと思っています。