タグボートで取り扱いをしている二人の作家・小木曽ウェイツ恭子と今関絵美には多くの共通点がある。
どちらも武蔵野美術大学の油画出身で、卒業後に再び絵を描き始めるまでのインターバルがあることだ。
また、2018年のIndepedent Tokyoでの出展からスカウトしたといった共通点もあるし、作品そのものにもどこか似通ったところがある。
二人が一度は置いた絵筆を再度握ることになった経緯を考えると、絵を描くこと自体が作家にとっての幸せにつながるような気がする。
今回はそういった「心に残る絵を追及する」という純粋な気持ちでアートを制作している二人にフォーカスをあててみたい。
絵を描きたいという純粋な気持ち
現代アートというと、コンセプト重視のアートにばかり脚光が浴びるのが今のご時世である。
一方で、うまく絵を描くことに挫折したアーティストの行き着く先がコンセプチュアルアートであったりもする。
アーティストという職業は絵描き以外にも、彫刻、写真、映像、デジタルアート、インスタレーションなど題材は多岐にわたり、必ずしも絵のうまさだけで評価されるものではないからだ。
とは言いながらも、絵を描くという行為は、美術大学やデザインやイラストの専門学校の生徒が必ず通る道であり、その中で切磋琢磨がなされていく。
入学後は、自分よりもずっと絵がうまい人がいることに気付いて、早い段階で絵を描くことから違う手段に身を投じる作家は意外と多いものだ。
さらに、学校を卒業してしまうと、「絵を描く」という行為に必然性はなくなり、職業作家以外は絵筆をとることを忘れてしまう。
そうすると、根底の部分で「どうしても表現をしたい」という気持ちがない限りは、再度チャレンジすることはブランクがあると戻りづらいものなのだ。
それでも二人は絵に戻ってきた。
そこで描かれる絵は、売ることを目的とした絵というよりも、純粋に「描きたい」という衝動に駆られた絵なのだ。
なぜか心に豊かさを感じる作品
現代アートを小難しいものにしない潔さも二人の共通点だ。
作品には、家族の成長に物語があったり、旅をする中で見た何気ない美しいワンシーンを表現するものであったり、鑑賞者を幸せにする絵の魅力がある。
我々は生まれ育っていく段階で、自分が思ったようにうまく絵を描きたいという心の欲求があるのだが、それをずっと追及し続けることは決して簡単な道ではない。
オーソドックスな雰囲気の絵画だからこそ、作家の心を素直に表現することの難しさを鑑賞者に感じてほしいと思っている。
さて、先月の大丸東京で開催されたtagboat ART SHOWにも二人の作品は展示された。
https://www.tagboat.com/artevent/tagboat_ARTSHOW/
ほんわかする二人のひとことインタビューを見ながら、作品の持つ鼓動を静かに感じてほしい。