物語のはじまりは、眠る前の絵本から
幼いころ、榊にとって眠る前に親が読んでくれる絵本の時間は、日常と夢の境界が曖昧になるひとときだった。
布団の中でページをめくる音を聞きながら、物語の中へと入り込んでいく。その感覚は、まるで見えない扉を開くようなものだった。
榊貴美の作品を前にすると、その記憶がよみがえる。
彼女の描く「こども」たちは、まっすぐにこちらを見つめ、その瞳には言葉にならない物語が宿っている。
榊が幼少期を過ごしたのは、和歌山県の熊野。
山々に囲まれ、神話の息づく土地である。そこでは、仏教や神道、自然崇拝が入り混じり、人々は目に見えないものとともに生きていた。
そんな環境で育った彼女にとって、想像の世界に遊ぶことや、信じることは、ごく自然な営みだった。
父が集めた画集を眺め、お寺の襖絵に心を奪われ、夜には物語の世界に没入する。そうした体験の蓄積が、彼女の表現の根幹を形作った。
榊の作品に登場する「こども」たちは、そうした彼女自身の原体験を映しているのかもしれない。
彼らは、物語の扉の向こうにいる住人のようでもあり、私たちの記憶の中に眠る「かつての自分」の姿でもある。
鏡の中のこども—私たちの記憶と技法
榊貴美の「こども」たちは、表情が仮面で隠されていたり、曖昧な輪郭をしていたりする。
彼らには特定の個性がなく、匿名性を持った存在として描かれる。それは、鑑賞者自身の記憶と重なり、見る者の内面を映し出す鏡のような役割を果たす。
大人になるにつれ、私たちはさまざまな記憶を忘れていく。泥だらけになって遊んだ日々、空を見上げて果てしない想像をめぐらせた時間、何かを信じて疑わなかったあの頃——。
榊の作品の前に立つと、そうした記憶が静かに波紋のように広がっていく。その感覚を生み出しているのは、彼女独自の技法によるものだ。
榊は、油彩やアクリルを用いながら、絵具の層を幾重にも重ねる手法をとる。
何度も塗り重ね、削り、また新たに描き足すことで、画面には独特の深みと時間の蓄積が生まれる。
この手法によって、作品は単なる二次元の絵ではなく、奥行きを感じさせる存在となる。
また、背景には繊細な模様や記号が散りばめられ、こどもたちの姿と交差するように配置される。
これは、幼少期に親しんだ絵本や装飾的なデザインの影響を感じさせる要素であり、作品全体に物語のような広がりを与えている。
さらに、版画作品では、和紙に木版画を刷ることで、絵画とは異なる柔らかさと時間の層を表現している。
版画は、同じモチーフでありながら、細部にわずかな違いが生じるため、ひとつひとつが異なる物語を持つ作品となる。
榊の作品は、単なる視覚的な楽しさを超えて、時間の重なりや記憶の奥深さを感じさせるものなのだ。
こどもとアートを手のひらに
榊貴美の作品は、大きなキャンバスに描かれるものだけではない。版画や小さなパネル作品もあり、それらは、日常の空間の中にそっと物語を届ける役割を果たしている。
彼女の「こども」たちは、単なる静止したイメージではなく、見る人の記憶や感情を呼び起こす存在である。
作品の前に立つと、まるで心の中に眠っていた感覚がそっと目を覚ますかのように、遠い記憶がよみがえる。
もし、彼女の作品が身近にあったなら、朝、目を覚ましたときに、その瞳の奥には言葉にできない何かが映っているかもしれない。
その視線と向き合うことで、自分の中の「こども」をもう一度思い出す機会になるのではないだろうか。