SBIアートオークションの一回のオークションの落札総額が10億円を超え、またアートフェア東京での出展ギャラリーの売上総額が過去最高となるなど、コロナ騒動の渦中でのこのアートブームは過熱気味なのかという議論が起きている。
しかしながら、これまでの海外のアート市場の成長の速さや規模から見ると、日本のアート市場はあまりにも小さすぎてバブルと呼べるほどではないと言えよう。
日本のアート市場は拡大したとしてもまだ500-600億円程度でしかなく、世界の7兆円と比べると1%にも満たない。
日本のGDP(国内総生産)が世界シェアの6%程度であり、そこから考えると日本のミドル層以上が現代アートを欧米並みに買うことになれば、現在の7-8倍、つまり4,000億円くらいまでアート市場が拡大してもおかしくはないのだ。
まだまだ日本の現代アート市場は脆弱であり、今後さらに成長する可能性があると言ってよいだろう。
伸びしろはたっぶりとあるのだ。
イラストアートの勃興
そういう中で、イラストアートとファインアートの境界線が崩れているのが現在のアートブームの特徴だ。
そのブームの事実を認めようとしないアート関係者は、このようなイラストアートのバブルは日本特有のガラパゴスであり、そのブームが長くは続かないだろうと言っている。
ガラパゴスである理由は、日本のイラストアートが海外のアート市場から認められていないこと、美術の専門家から高い評価を得ているわけではないことのようだ。
そういう面から考えると、和紙に岩絵の具を塗った日本画の技法は世界的な市場にはならなかったし、日本のお家芸ともいえる超絶技巧のアートは工芸(クラフト)だと揶揄され、写実の美人画などはまさに国内だけのガラパゴス市場であり、世界の市場にはほど遠かったのが現実だ。
いずれにしても、現在のイラストアーはが80年代の「ヘタウマ」ブームとは趣が違っていて、過去の有名な漫画家の絵を模倣したものをアートとしていることにも問題があるようだ。
しかし、オリジナリティにおいて著名漫画家の劣化品というイメージがあるものの、一方でその時代の漫画を知らない世代からすると「分かりやすさ」を感じて欲しくなるものらしいのだ。
その他にも、デジタル世代のストリートアートやグラフィティの作品も「分かりやすさ」から人気が上がっている。
米国の膨大なストリートアーティスト達による苛烈な競争と比べると、まだまだ牧歌的な日本のストリートアートは大きな可能性を秘めているのかもしれない。
この1年での大きな変化
昨年からのコロナ騒動は一時的に国を分断させ、アートのグローバル化から離れて国内市場の優先へと繋がった。
国内ギャラリーの多くはグローバル化の並みに乗れなかったが、その一方で目ざといギャラリーはグローバル化の並みに乗るために海外のアートフェアに積極的に参加することでアート作品を海外で販売することができていた。
しかしながら、この一年で物理的に海外のアートフェアに参加ができないとなれば、これまでの海外の顧客だけではなく、国内市場に目を向けざるを得なくなった。
特に固定費のかからないギャラリーにとっては政府から支払われる持続化給付金は追い風となったようで、国内市場を開拓する余裕にもつながったのだ。
とはいえ、アート市場を先導するギャラリーの仕掛けがアートブームの火付け役になったのかと言えば、そうではなくて、日本ではその役目をオークションハウスが担っていたのだ。
つまり、セカンダリー市場が先行して、それをギャラリーなどのプライマリー市場が追随しているのが欧米とは違う特徴だ。
セカンダリー市場がアートの全体市場を動かしているのは、中国、韓国、台湾などの他のアジア各国の動きと似ている。
主に、若手IT経営者などの新しい富裕層が投機的な動きに乗っかっているところは、成長著しいアジアマーケットのやり方を日本が追随しているようにも思える。
そこでは、若い富裕層にとって「分かりやすくて、かっこいい」イラストアートが人気であり、従来のように美術雑誌の影響を受けることもなく、コンセプトよりも「値上がり期待」と「絵柄」で選んでいるのだ。
ブーム後の未来
さて、アンディ・ウォーホルや村上隆も当時は業界の異端児であったし、商業的すぎるとも言われた。
しかし、広告などの大衆文化をハイアートにまで昇華させたのはウォーホルであり、日本のオタク文化と言われる漫画を世界的なアートにまで持ち上げのは村上隆なのだ。
その時々のサブカルチャーとハイ・アートとの交差点を見つけることが新しい発見であり、それが美術史に残る偉業になりえると考えれば、現在の日本のイラストアートやストリートアートのうち数人が時代の先導者として残る可能性は十分にある。
新しく出てきたアートは「時代を映す鏡」であり、玉石混交の中できらりと光る才能があるに違いない。
アンディ・ウォーホルがそれまで米国で主流であった抽象表現主義を脱却すべく起こした前衛活動が彼のポップアートであった。
ウォーホルはまた、それまでのような作品の背景に深い精神性を求めることをも否定し、見ている実態がすべてであると「ポートレート」作品にも力を入れた。
日本的なストリートアートが出てくるのは過去の日本の表現方法を否定できるまさにこの時代かもしれない。
オリジナリティを担保しつつも、日本の典型的なサブカルチャーから来るアーティストがこれからのアート市場を先導することになるのは間違いないだろう。