日本の食文化の中で、とても大切にされているのが「素材の味」である。
とくに「鮨」はわかりやすい。マグロやウニ、穴子やイカ。
それぞれの素材が持つ香りや甘さ、舌ざわりを引き出すために、酢飯や醤油、わさびがちょうどよく使われる。
決して手を加えすぎない。それが日本料理の特徴である。
一方で、エスニック料理というジャンルでは、たくさんのスパイスを使って、味の広がりを楽しむ。
カレーひとつとっても、何種類もの香辛料が使われていて、口の中で次々と味の変化が生まれる。
こちらは素材よりも、調理方法によって「全体の印象」をつくっていくタイプの料理である。
どちらが正解か。もちろん、答えはひとつではない。それは「どんな素材を、誰が、どう食べるか」によって変わってくる。
実は、アーティストという存在もまったく同じである。
アーティストにも「素材」、つまり生まれ持った性格や感性、技術や思考のクセがある。
そしてそれを活かすには、「鮨」のようにそっと寄り添って引き出していくのがよいのか、「エスニック」のように大胆に演出していくのがよいのか。判断はとても難しい。
アーティスト本人が、自分の素材に気づいていないことも多い。
むしろ、まったく逆に思い込んでいることさえある。
「自分はこういう作品が向いている」と信じてやっているのに、まわりから見るとまったく違って見えることもあるのだ。
プロデュースする側、つまりギャラリストやプロデューサーは、そこを見極めなければならない。
ただし、ここに落とし穴がある。
プロデュースする側が「その人が好きなことを応援する」だけになってしまうと、才能の使い道を間違えることがあるのだ。
本人の好きと、世の中が求めているものは、必ずしも一致しない。
目の前の売上や話題性に流されてしまうと、長期的なキャリアを傷つけてしまうことさえある。
このことを思い出すとき、浜崎あゆみのデビューの話はとても示唆的である。
1995年、浜崎あゆみは六本木のヴェルファーレというクラブで、偶然エイベックスのプロデューサーである松浦勝人と出会った。
当時、浜崎はモデルや女優として活動していたが、はっきりした道があったわけではない。
そんなとき、彼女は「歌手になりたい」とぽつりと口にする。それを聞いた松浦は、彼女の中にある「素材」と「可能性」を感じ取り、プロデュースを決意した。
だが、その道のりは甘くはなかった。浜崎は1997年にニューヨークへ3ヶ月間のボイストレーニングに行く。
これは単に歌が上手くなるためではない。
「今までの浜崎あゆみ」をリセットし、ゼロから作り直す覚悟だったのだ。
本人の見た目や過去の活動のイメージをぬぐい去り、本物のアーティストとして再出発する準備であった。
当初、松浦は浜崎をグループのボーカルとしてデビューさせるつもりだった。
だが、浜崎はそれを断る。グループよりも、ソロで、自分の言葉で歌いたい。すべての歌詞も自分で書きたいと主張した。
実績もなく、まだ若い少女が、プロのスタッフを前にここまで強く意志を持つのは簡単なことではない。
きっとそこには、たくさんのぶつかり合いがあったはずだ。
でも、最終的にその意志が通ったのは、松浦もまた「長期的な視点」で浜崎を見ていたからである。
瞬間的なヒットより、10年後、20年後に「アーティスト浜崎あゆみ」として残るかどうかを大切にしていたのだ。
才能とは、生まれたときにキラキラしているものではない。それは磨き方によって、ようやく光を放つ。
そしてその光の見せ方を考えるのが、プロデューサーやギャラリストの仕事である。
アーティストがどんな素材なのかを見極め、それを活かす方法を一緒に考える。
それはまさに、料理人が「素材」と向き合う姿勢に似ている。
鮨のようにシンプルに味を引き出すか、エスニックのように演出して魅せるか。答えは人によって違う。
だが、共通して大切なのは、「この人が10年後にも愛されているかどうか」を想像しながら、いまの一歩を決めるということである。
短期的な流行に流されることなく、過去を断ち切る勇気と、それを支える準備と信頼関係。
これが、本当に価値あるアーティストを育てるための、たったひとつの道なのだ。