アート市場の歴史は、時代の流れと共に大きな変遷を遂げてきて、現在がある。
それを理解すれば、今後のアート市場がどのようになっていくかの方向性がつかめるかもしれない、と思い今回のコラムを書き進めている。
以下、大まかなアート市場の歴史の変遷を示してみよう:
中世のアート市場
アート市場はヨーロッパの中世時代から芽生え始めていた。
この時代のアートは、教会や王侯貴族などの富裕なクライアントのために作られ、アート市場という概念自体はほとんど存在してなかったといえよう。
アーティストは、特定の依頼人から注文を受けて作品を制作し、報酬を得る形で活動していたのである。
また、当時のアート作品は信仰や権力を表現する手段として重要な役割を果たしていた。
ルネサンス~近代
ルネサンス期には、市民階級が台頭し、個々のアーティストがその才能を認められ、名声を得るようになった。
アート作品は依然として個別の注文によって制作されることが多かったが、一部のアーティストは独立して作品を制作し、後から販売するという方法を取るようになった。
17世紀 のオランダの全盛期には、初めて近代的な意味でのアート市場が形成された。
アーティストたちは一般の消費者向けに作品を制作し、画商がそれを販売するというシステムが確立したのだ。
また、19世紀になると、パリなどの大都市において画廊が多く開かれることになり、アート作品が広く公開されることで、市場は一層発展するようになった。
20世紀 – 現代
20世紀以降、アート市場は全世界に広がり、多様化するようになった。
つまりグローバル化が始まったのだ。小説や映画のように言葉の媒介が必ずしも必要ではないアートだからこそ、グローバル化は早かったと思われる。
ギャラリー、オークションハウス、アートフェア、オンライン市場など、さまざまな形の市場が形成されることとなった。
また、アート作品は投資の対象としても見られるようになり、一部の作品は非常に高額な価格で取引されるようになった。
これらの変遷を通じて、アート市場は一部の富裕層向けから一般の消費者向けへ、個別の注文から一般の販売へと進化してきたのだ。
また、アート作品の役割も、信仰や権力の表現から個々のアーティストの創造性や表現の自由、さらには投資の対象という面も持つようになった。
日本の現状
このように世界のアート市場が変わっていく中で、特にグローバル化という面では日本だけが置いてけぼりを食うこととなった。
香港、シンガポール、ソウル、上海、台北などアジアの主要都市で国際的なアートフェアが開催される中で、市場が活性化しない日本だけがガラパゴスな独自路線を行っていたからだ。
ようやく今年になって、東京現代(TOKYO GENDAI)という国際的な現代アートに特化したアートフェアが開催されたが、これは1992年に、海外16ケ国41軒、国内51軒のギャラリーが参加した「NICAF 」がパシフィコ横浜で開催されて以来のことだ。
まさに国内経済と歩みを同じくするように、日本のアート市場も失われた30年があったということだ。
過去のアート市場の歴史を見ると、今後もグローバル化によって富の集中が進み、アート市場の資本主義化はさらに進んでいくだろう。
一方で行き過ぎた資本主義化を抑制するかのようにアートの民主化も同時並行的に進むことが予想される。
これについては、前回、前々回のコラムでも書いたのだが、アートの民主化によって、作品の価格や評価を公開することが進むであろう。
さらには、アートの持つ他の業界との垣根は低くなり、デザインはもちろん、音楽、ファッションなど様々な業界とのコラボレーションや参入が拡大することになるだろう。
アートは特別であるといった意味のないプライドは早めに捨てることが重要で、顧客から「アートは分りにくい」と思われることがないように、分かりやすい説明と情報公開は避けられない。
業界の中にいては気付きにくいアートの障壁をいち早く取っ払うことで、大きく門戸が開かれてて市場が拡大することを我々は意識しなければならない。
情報公開と誰でも参加しやすくする行動こそが、アートの資本主義の暴走を自ら防ぐことに繋がるのだ。
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