樋熊あかりの作品には、「痛み」がある。ただしそれは、叫ぶような痛みではない。静かに沁みてくるような、そして少し、他人事とは思えないような種類の痛みである。
彼女はいま現役の東京藝術大学生だ。だが表現者としての歩みは、すでに深く、確かな足取りを刻んでいる。かつては、人形の体に鋲(びょう)を打ちつける作品を作っていた。釘が何本も刺さった小さな木偶(でく)の姿は、見る者に「ギョッ」とする衝撃を与える。
だが、それは決してホラーではない。むしろ見る側の心の奥にある「自分も似たような痛みを感じたことがある」という感覚を呼び起こす。
人間関係のしがらみや、外見に向けられる視線、自分で自分を責めてしまう心――そうした“目に見えない刺”を、実際の鋲として可視化することで、彼女は自分のなかの痛みと対話していたのだ。
ただ、それはとてもエネルギーのいる行為でもあった。直接的な痛みの表現は、時に自分自身をも傷つけてしまう。
だから彼女は少しずつ、鋲を打つ手を止め、べつの方法で心の内を形にする道を選ぶようになった。
その変化の鍵になったのが「粘土」である。
現在の樋熊は、まず手で粘土をこねて人形やオブジェをつくる。そしてそれをじっと観察し、油絵で描く。
つまり、ただ頭の中でイメージしたものを描くのではなく、いったん“かたち”として現実に出してから、もう一度“絵”に変えるという二重のプロセスを経ているのだ。
この方法には、深い意味がある。
直接的に痛みを描くのではなく、いったん「手でつくる」という行為をはさむことで、自分自身との距離を少しとり、より冷静に、かつやさしく心を見つめなおすことができる。
粘土をこねることは、いわば心のマッサージのようなものである。ふだん無意識に抑え込んでいた感情が、やわらかい粘土の感触を通して少しずつ形になる。
そしてその形に向かって、もう一度筆をとる――そのとき描かれる絵には、痛みのなかにも光がにじんでいる。
技術的にも、彼女のこだわりは細やかである。とくに金属や木材、布など、質感の違う素材を描き分けるときには、光の反射や影の落ち方を丁寧に描き込む。
たとえば、人形の体に刺さる金属の鋲には冷たさを感じさせ、木製の肌には乾いたぬくもりを込める。
画面の中で質感がぶつかり合うことで、「現実にあるかもしれない感情のかたち」としてのリアリティが生まれる。
こうした細部への感覚は、おそらく彼女が子どもの頃から培ってきた「空想の観察者」としての眼差しによるものだろう。
ダンボールでロボットを作り、マンガで友達を笑わせ、身の回りにあるものを自分の世界として再構築してきた経験が、今の作品にも通じている。
彼女の近作では、粘土の人形に自分自身の姿を重ねるような表現も増えてきた。
つまり、モチーフとしての「他者」から、「自分」へと視点が移ってきたのだ。
これは、表現者としての覚悟でもある。誰かを傷つけずに、でも自分の痛みは誤魔化さずに描く。それはとても難しいが、同時に強い誠実さを感じさせる行為である。
では、なぜ彼女の作品が、いま見る人の心をとらえて離さないのか。
それは、おそらく「傷」を描いていながら、そこに「やさしさ」があるからだろう。
鋲を打つ衝動も、粘土をこねる時間も、どちらも「どうしようもなく誰かに伝えたい」という気持ちのあらわれである。
そしてそれは、見る者にも届いていく。ただ見て終わるのではなく、「これ、わたしのことかもしれない」と、心のなかに小さな共鳴が生まれるのだ。
コレクターにとっても、樋熊あかりの作品は興味深い選択肢となりうる。
なぜなら彼女の作品は、“所有するアート”であると同時に、“問いを投げかけるアート”だからである。
部屋に飾ってただ美しいだけでなく、日々のなかで少しずつ、見る人の記憶や感情を引き出していく。その作用は静かで、でも確実に残る。
絵は完成したときが終わりではなく、そこからまた誰かの心の中で始まっていく。その意味で、彼女の作品はとても「長く生きる」アートなのだ。
7月11日(金)からギャラリーにてグループ展「Made in Child」を開催いたします!
「Made in Child」
2025年7月11日(金) ~ 7月29日(火)
営業時間:11:00-19:00 休廊:日月祝
※初日の7月11日(金)は17:00オープンとなります。
※オープニングレセプション:7月11日(金)18:00-20:00
入場無料・予約不要
会場:tagboat 〒103-0006 東京都中央区日本橋富沢町7-1 ザ・パークレックス人形町 1F