最近、タグボートがどちらの方向へ行こうとしてるのか、その向かう先について取材などで聞かれることが増えてきた。
我々はEC(ネットショップ)がやりたいわけでもなければ、オンラインプラットフォームがやりたいわけでもない。
アートで食べていけるアーティストの数を増やしたいだけだ。
今の世の中を合理的且つ俯瞰的に見てみると、リアルのスペースで売るよりもネットを使って売るほうがより多くの作品を売るのに効果的であることは我々は実証できている。
だからこそオンラインを使ってるだけのことで、AI、ブロックチェーン、シェアリング、サブスクリプションがもし効果的であればその手法を使うのだろうが、今の日本のマーケット規模ではあまり合理的ではないだろう。
さて、食べていけるアーティストを増やすためにタグボートが狙いたいことの一つに「もっとアートにエンタテイメントを」というのがある。
というのは、日本のアートが民主化しないのはアートがエンタメから最も遠ざかっている国のひとつだからだ。
これまで日本では、アートがあまりにもアカデミックの世界に支配され続けてきたように思われる。
しかし、そろそろ本格的にアートとエンタテイメントとの融合が始まる予感がしているのだ。
現在もそうであるが、アートはアカデミックが支配する上でマーケットが成り立っている。
だからこそ、当たり前であるが、美術を研究している学芸員や美術評論家の人たちがアートマーケットを動かしている部分もあるのだ。
ギャラリーは美術館で展示することに権威を求めることとなり、美術館で展示してもらうためには、美術館の学芸員に対し作家の作品が美術史の文脈のどの辺にあるのかをコンセプトと共に説明しないといけない。
でないと、その作家に価値があるという裏付けがとれないからだ。
作家をマーケットに乗せるためにはアカデミックな裏づけとしての評論や美術館での展示が今の日本では必須である。
ギャラリーはよい意味でアカデミックを利用し、アカデミック側もそれによって権威付できる立場を得ており、両者は共存共栄の関係にある。
学術的見地からの意見やコメントこそが作家にとっての権威であり、その権威があるかないかで一流か二流かを分けられてしまうのが今も日本の状況だ。
このように学術的な権威をアートに最初に利用したのもアメリカであるが、一方で壊そうとしているのもアメリカである。
先日のコラムで申し上げたように、Gogosian、David Zwirner、PACEなどのニューヨークのメガギャラリーは美術館と変わらない規模の展示スペースを持ち、それだけでなく、プロジェクションマッピングやVR、ARといった映像作品で入場料収入を得るようにもなってきている。
メガギャラリーの資金力は美術館を凌駕するようになっており、美術館側もメガギャラリーのコレクターがなければ巡回展なども開催することができない。
このようにメガギャラリーは学術的な権威を身にまといながらも、同時にエンタテイメントの領域を拡大することでマーケットを凌駕しようとしているのだ。
それはアーティストのタレント化は言うまでもなく、作品の見せ方、楽しむ手段の多様化、各メディアへの露出に積極的であることからも明らかだ。
これからの時代は、アートを資産とするならば、学術的な権威でその価値を推し量る部分が小さくなり、相対的に共感できる人の数や人気投票といった部分によって価値を押し上げる部分が大きくなっているのだ。
これはつまり、アートの民主化=アートのエンタメ化に通ずることとなる。
例えば、エンタメと最も相性のよいSNSといえばInstagramである。国内外の芸能人やタレントが最も活用しているSNSであることはご承知の通りだ。
メガギャラリーはこのInstagramへの投資にも積極的で、フォロワー数はGagosian 137万人、PACE97万人と拡大傾向が早い。
それに比べると日本のギャラリーはInstagramの活用は乏しく、まだこれからであり、海外に比べて周回遅れは免れない状況だ。
アートがエンタメ化するためには、まずは一人でも多くの人に見てもらうことが最も重要であり、楽しんでもらうことにフォーカスをあてていかなければならない。
「ギャラリーには買ってくれる顧客にだけ来てくれればよい」といったような旧来の画廊システムの考え方では古すぎる。
作家の作品コンセプトをアカデミックに理解してくれるコレクターだけが高く買ってくれる時代はそろそろ終焉を迎えるのだ。
時代の流れを敏感に感じながらエンタメ化を推し進めていかなければ、欧米はもちろんのこと、他のアジア諸国との差はますます広がっていくだろう。
次回以降、タグボートがまじめに考えるアートのエンタメ化についてもう少し具体的に語っていきたい。