タグボートは12月3日から約1週間、ニューヨークのウエストハーレムにあるWhiteBox Project Spaceにてグループ展を行う。
展覧会開催にあたっては、現地の方を含めて出展作家にも多大なる協力を頂いた。
色んなトラブルが起こるのは海外ならではであるが、ようやく本日そのオープニングの日を迎えようとしている。
今回は、Independent東京にてタグボートが選出した5名のアーティストの他、タグボートの取り扱いアーティストから7名、計12名の作品をキュレーションした。
アーティストを昭和後期から平成、令和へと続く日本の現代アートの歴史の中で紐解いた展覧会となっている。
さて、ニューヨークに行くと感じるのはアートに対するリスペクトと、アーティストに対する寛大さだ。
この部分が圧倒的に日本と違う。
日本と米国では様々な環境の違いがあるのだが、上記ようなアートに対しての基本的な考え方が異なると思ってよい。
例えば、米国ではギャラリーが集まるチェルシー地区の地価は現在とてつもないスピードで高騰している。
90年代はギャラリー街といえばソーホー地区であったが、ここ最近は大手のギャラリーが数軒の広大なスペースをチェルシーに持つようになって一変した。
そのチェルシーもあまりに地価が上がりすぎて家賃の支払いが厳しくなったギャラリーが、ロウア―イーストサイドに移転し始めている。
すでにロウアーイーストサイドにはフランスのペロタンといった著名なギャラリーも進出しており、若手のギャラリーを中心に150ほどが軒を連ねる。
チャイナタウンを奥に控えるロウアーイーストサイドも地価が高騰しており、今後はやブルックリンのダンボ地区、ウエストハーレムなどへ移転することも予想される。
ここでの大きな特徴は、アーティストのアトリエや居住区に始まってギャラリー街を作り、そこにおしゃれなカフェやファッション、インテリアのお店が徐々に増えることで街が一気に蘇るという現象が起きている。
これはアーティストがトレンドを先導しているということもあるが、まずは街自体がアーティストをサポートし、そこから湧き出るパワーを次なるエネルギーに変えているということだ。
アーティストには街を変える力があり、住民もそれを認めているということだ。
だからこそ住民がアートという原動力を信じ、アーティストをリスペクトすることになっているのだ。
これが日本だと状況はかなり異なる。
アーティストというのは職業だとはあまり認識されず、趣味の延長でやっているように思われることが多い。
アーティストがある場所に集まって切磋琢磨することもなく、小さな国内マーケットの中でこじんまりとまとまっている印象だ。
日本の街にアートが少ないのは、住民がアートに対する期待が少ないことの表れかもしれない。
一方、米国は開拓者精神にあふれている。
ヨーロッパから移民されてきた人たちはがこの地を新開地として開拓することになったことが、フロンティアスピリッツを醸成することにつながっているのだろう。
アーティストもある意味で開拓者である。
誰らかも受け継ぐこともなく、自力で目の前にある市場を切り開かねばならない。
アーティストは発明者であり新たな付加価値をゼロから作る者として、米国人がリスペクトするのが非常によく分かる。
ベンチャー企業が発展しているのも米国の特徴であるが、アーティストが多いのも同じような理由によるのかもしれない。
今回出展されたアーティストにはぜひこのニューヨークの持つ空気を感じ、アーティストの立場を理解されない国ばかりではないことを覚えてほしいと思っている。
必ずアーティストをサポートしてくれる人がいて、そこからアートのもつパワーでお返しをするいう気概が広がっていく雰囲気づくりが日本にも根付くようになってほしい。
そのような活動に現在タグボートがやっていることがつながっていければと考えているところだ。