よいアートを購入するのに最も重要なのは、一次情報を得ることです。
ここでは、自分の眼で作品を見て感じる情報のことを一次情報と言います。
それに対して、ネットのニュースや誰かが作品を観てSNSに投稿した記事などは二次情報となります。
二次情報をいくら集めてもそれは他の人が見た情報を加工したものにすぎません。
例えば、テレビ番組のバラエティやワイドショーなんかは典型的な二次情報であり、実際のものを加工して視聴者向けにアレンジしています。
つまり事実がありのままに伝えられずに曲解する可能性があるのが二次情報であり、やはり事実は自分の目で確かめるのが一番なのです。
事実を加工した二次情報については、少し疑ってかかるくらいのほうがよいかもしれません。
特にアートの場合はそれが顕著で、見た作品に対してどう感じるかは人によって大きく違いますし、一部の美術メディアは素人向けには分かりにくい表現をあえて使っていることも少なくありません。
事実を捻じ曲げることなくそのまま分かりやすく伝えるのがメディアの役割なのですが、そこを割愛してメディア側の考えを押し付けることはアートの世界ではたまに見かけることがあります。
二次情報をそのまま鵜呑みにするとどうなってしまうかを考えてみましょう。
例えばオークションの落札価格といった誰もが手に入る情報を元に価格が上昇している作品ばかり買っていると、同じような作品情報を元に買う人たちが集まってバブル人気が起きてしまうことがあります。
その結末として、一部の人気に支えられたバブルもいつかはバケが剥がれて暴落してしまうことになるでしょう。
次に、実際の自分の眼で見る一次情報をどのようにコレクションとして役立てるのかについても考えてみましょう。
まず、アートは他人やメディアの意見よりも、まず自分が面白いと思えるかどうかが重要です。
「自分の意見が正解だ」くらいに思うことが大切であり、自分の感性に素直に従えば良いのです。
例えば、メディアとか自分の周りは評価してるけど、自分としては面白くない、という感性が大事なのです。
なぜかといえば、作り手の立場から考えてみると分かります。
アートにおいて空前の傑作を作ることにマーケティングというものは全く役に立ちません。
アーティストが事前にどのような作品が売れるかといった調査をすればするほど、多くの人が望むものをつくろうとしてしまうので、そこに予定調和が生まれます。
アーティストが顧客を気にして予定調和をしてしまうと面白くないアートを作ってしまうことになります。
売れやすい作品を意識して作ることとは対称的に、アートは常にこれまでに見たことのない発明品に価値があるのです。
さて、他人の評価を気にせずに自分が面白いと思う作品に出会うことがもっともよいのですが、それにも条件があります。
好きな作品だからと言ってやみくもに買っていても、その作品が将来的に上がるかどうかは別問題です。
ある程度の作品数を実際に自分の眼で見る経験が必要です。
その経験を積むことによって、二次情報を見たときとの差を感じることができるようになります。
展覧会レビューで書かれていることと、自分の考えとの違いを認識できるようになります。
また、ネットで見た写真や映像での質感がより自分で観た一次情報に近づいていくようになります。
このように、自分の物差しがキチンとできてくれば、二次情報をまるで一次情報を得るかのように質の高い大量の作品を経験として積むことができるのです。
それができるまではとにかくホンモノの良作を観まくることをおススメします。
アートを観る時間がないけど資金が十分にある人がギャラリストに「あなたの感性にお任せするから適当によい作品を見繕ってほしい」と依頼する場合がありますが、これはギャラリスト側から見ると思うツボです。
勢いがある作家ではあるけれどサイズが大きすぎて誰も買わない残り品を買わされるような羽目になってしまいます。
これも自分の目で確かめて買わない人の悲劇です。
まずは自分の眼を信じてホンモノの作品を観ることが一番ですが、ウェブの画像を先に観てから本物と見比べて答え合わせをするというのも一つのやり方です。
効率的に経験を積むためには、事前にウェブでアート情報をシャワーのように浴びてから、アートフェアなどで実物の検分をしてみるとよいでしょう。
そうしているうちに自分の中に物差しができて、他人の評価を気にせずに好きなアートを選ぶことができるようになるはずです。
自分が好きで買った作品であれば、価格が上がらなくても自分が楽しめばよいのです。
あまり好きでもない作品を買って、価格が上がることのみを楽しみむのは、投資ではなくて投機です。
長期的な視点でアートを買うのであれば、自分の眼を信じることが一番なのです。
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