タグボートの取り扱い作家の一人である山口真人が代表の徳光健治と話した内容がYouTubeにアップしてくれた。
ここでは、閉鎖的なアートの業界が今後よりオープンになっていくこと、一般のコレクターが情報武装していくことでアート業界を変えていくことを示唆している。
さて、これまでアート界であたり前とされてきたルールであるが、業界の外から見て異質に感じるのであれば、それは変えていくべきであると考えてタグボートは実践してきたつもりだ。
「アート界は特殊だから」とされてきた既成概念を壊すことによって、新しいマーケットが出来ていく。
その歴史の繰り返しの渦中に我々はいて、コロナ騒動のような一時的な集団パニックとは関係なしに、アート市場は着実に進んでいくと考えている。
ギャラリー事業者と購入者との情報格差
ギャラリーに行くとアート作品に価格が表記されていないことが散見されるが、それにはいくつかの理由がある。
まずは、展示空間はあくまで作家の世界観を見せる場であり、価格表記があるとその世界観が阻害されるという理由で価格を見せないということだ。
もうひとつは、本当に買う気がある顧客なのか、鑑賞だけを目的とした顧客なのか、を見分けることで、接遇の時間を合理化できるという理由がある。
さらには、初見の顧客とお得意様では顧客別に違うプライスリストを分けて出すギャラリーもあるらしい。
いずれにしても、価格をオープンにしないことで、ギャラリーと購入者との間に情報格差を設けているのだ。
情報格差があることで、ギャラリー側が優位に立ち、情報がない購入顧客はギャラリー側の言うことを信じざるを得なくなるのである。
しかし、それは販売側の一方的な論理であり、購入者からすると不便なことこの上ない。
そのようなルールは無くすべきだと我々は考える。
価格は当然のこととして、それ以外の様々な作品情報、作家情報は店頭とウェブサイトの両方で公開することで、購入者にとっての利便性を高めるべきだ。
また、顧客がギャラリーの店舗からでもオンラインでも自由に購入方法を選べるようにすることがベストであると考えている。
アートが投資になるということ
よいアートを購入することが投資にもなるということを、日本のアート界では誰も言ってこなかった歴史がある。
90年代に流行したイルカなどをモチーフとしたインテリアアートは、販売時の営業トークとは裏腹に、実際にそれをセカンダリー市場に転売したときに価値が極端に下がるということがあった。
そういったことが積もり積もって、アートに対して「買っても損をする」とイメージができたという事実は否めない。
しかしながら、ギャラリーがきちんとアーティストをプロモーションをしていれば、長期的に価値が上がるはずである。
そういった意識を根付かせるための啓蒙活動がこれまでなされていないため、日本のアートマーケットが小さいままで米国や中国とは大きく差が開いていることにつながっている。
また、アート投資をしても、価値が上がるアートとそうでないアートがあり、それについても現状では購入者向けの情報が少なすぎてなかなか手を出しづらいというのもあるだろう。
投資家の立場で作品を購入するとすれば、作品を見ただけの情報では十分とは言えない。
作品以外に、作家そのもののキャラクターを知ることも重要であり、それを知ったうえで買いたいものだ。
そういった当たり前のことをアート界にも浸透させていきたいと思う。
情報の公開がアートの民主化につながる
日本だけに限らず欧米でも、アート界はアカデミック(学術的)な世界によって支配されており、美術史の文脈に乗らない作品は歯牙にもかけられない。
今から100年ほど前に、マルセル・デュシャンが既製品の便器を使って「泉」という作品でコンセプチュアル・アートを発明して以来、アートはコンセプトを論理的に説明できることを条件に価値をあげてきた。
そういったコンセプトによる作品の価値を支えていたのが、美術評論家や美術館のキュレーターだ。
しかしながら、今後はその法則が少しずつ崩れ始めてアートの民主化が始まることになるだろう。
小難しいコンセプトが高い評価を受けていた時代から、アートの原点である「人の心を刺激し、感動させる」という役割りがSNSやネットによる情報の流通によって復活していくことになる。
つまり、ミシュランの覆面調査員による星評価のような権威が絶対であった時代から、食べログのように民の総意によって評価が変化しながら形づけられるようになるだろう。
アートの民主化が進むと、多くの情報が必要とされ、多くの人によってその情報を使って評価される時代となる。
タグボートとしては、プロモートするアーティスト全体の底上げをすることで、食べていけるアーティストの数を増やすという自社の理念に従って突き進んでいきたいと思っている。