アーティストのキャリアについて、作家側の視点だけではなく、それを支えるコレクター視点でも考えてみようというのが今回のコラムの狙いだ。
というのは、アーティストは一人で生きていくことは難しく、そこには販売業者や買い支えるコレクターなど周りを囲む人たちの存在が非常に重要になってきているからだ。
つまり、アーティストのキャリアは個人の努力だけで実現できるものではなく、周囲との助け合いによって可能なものとなっているということだ。
従来のアーティストのステレオタイプ的なイメージであった「作ることに特化した存在」から、「個人事業主としての起業家」にアーティストが近くなりつつある。
また、アーティストは直感に頼って制作しているイメージがあるため、最近世の中に蔓延している「アーティスト的な右脳感覚をビジネスに活かせる」みたいな論理が増えているがほんとうにそうだろうか。
現実的には、右脳感覚で作品を作ることでよかった時代はマルセル・デュシャンの登場で終わっている。
今の時代のアーティストは感性だけでは十分ではなく周りと協調しながらキャリを積む「知性」が必要になってきているのだ。
さて、そもそもの話になるが、「アーティスト」という職業は存在するのだろうか?
アーティストになるのに資格が必要でないため、誰でも自称アーティストになることはできる。
しかしながらアーティストの本分である制作だけで十分食べていける人はほとんどいない。おそらく1,000人に一人くらいだ。
そうなってくるとやはりアーティストという職業を語るのは今の日本では現実的でない。どちらかというと、アーティストらしいライフスタイルをどのように作るか、それをコレクターがどのようにサポートできるのかについて考える方がよいだろう。
つまり、アーティストとは、職業というよりもどちらかというと生き様そのものである、とも言えるのだ。
それが正しければ、美術大学を卒業するということはアーティストのキャリア形成にとってあまり意味がないことのようにも思える。
アーティストとしての生き様に必要なことを美大で学ぶことは少ないからだ。
具体的な作品の制作方法については教授から学ぶことがあるかもしれないが、アーティストとして生きていくのに必要な処世術を学ぶ機会がないことがそれを裏付けることになる。
ではなぜ、実際に美術大学を卒業してアーティストになる人のほうが圧倒的に多いのだろう。
これは起業家になるのに一般の大学を卒業する必要があるかどうかにもよく似ている。
大手企業のサラリーマンになるのに大卒の学歴は必要であるが、起業においては学歴の必要性を強く感じられないからだ。
とはいいながら、美大に入学することにはあらゆるメリットがあることは間違いない。
入学して4年間、作品の制作に集中し、周りの学生と共に切磋琢磨できる環境に身を置くことができることだ。
それだけでなく、入学までに必要なデッサンなどの基礎的な能力を積むことや、授業で美術史などを正しく理解するということも美大ならではのメリットかもしれない。
ただし、それが美大を出ていない人と比べたときに圧倒的なアドバンテージになっているかというと、私大の高い授業料や藝大に何年もかけて浪人することの意味合いが薄れていることから、重要性は低くなっているだろう。
では、アーティストのキャリア形成において、我々がどのようなことができるかについて、より重要な視点を次のコラムにて紹介していきたい。