デザインやイラストの出展者が多いアートフェア「Unknown Asia」の中で、タグボートが審査員として選出したのは、小谷くるみというアーティストだ。
小谷くるみは、京都造形大学・大学院を卒業したばかりの大阪出身の24歳。
キャンバス一面に結露して滲んだ窓ガラスに指をなぞらせて描いている作品など多彩な表現が秀逸であった。どうやら他の展示でも軒並み完売している人気作家であるらしい。
タグボートが新規にアーティストを選定するときの基準の一つに「期待値」がある。
つまりこれからどのくらいアーティストとして成長を期待できそうかという基準だ。
作品を見た時点がそのアーティストのピークではなく、今後アーティストが作品も共に成長する下地があるかどうかを見るのだ。
なので、完成品としてのアーティストにはあまり興味がない。これからの伸びしろにしか興味がない。
また、技術力の高い作品や根性で時間かけて作った精緻な作品にもあまり意識が行くことがない。
どちらかというと重要なのはアーティストとしてのセンスであり、これは天性と経験との融合によってできるものだ。
天性としてのセンスを今後の経験でどのように飛躍させることができるかが重要なのだ。
ここでいうセンスとはあくまでも作品作りのセンスであり、それはコンセプトの面白さや、展示したときに作品から醸し出される雰囲気、といったものである。
このセンスがホンモノどうかを見極めるには、年間数万点以上のアート作品を見て分かるものであり、簡単にはいかないのだ。
さて、デザインというものはモノを使うときの問題解決にも利用されるのでよりビジネスライクなのだが、アートも社会性に根差した作品を作ることで、社会問題を視認させたりする問題解決にもつなげることができる。
アートを一目見ることで社会に内在する問題点を浮き彫りにさせる力強さがある面で、アートもデザイン的な問題解決の力があると言えるだろう。
アートはデザイン同様に問題解決を意図してもよいのであり、従来の「美しさ」とか「うまさ」という問題解決とはほど遠かったアートの存在が、デザインのもつ使用用途に近づいているといえよう。
タグボートはそのような社会問題を浮き彫りにするアート作品にも注目している。
またタグボートは、ローカル・メジャーとなるアートよりグローバル・ニッチとなるアートを選ぶ傾向を持つ。
ローカル、つまり日本だけメジャーなアートといえば写実画、美人画ということだろう。
今でも銀座の老舗画廊ではこの手の作品が人気である。しかしこのような作品はグローバルで見ると全くといってよいほど相手にされることがない。
日本というローカル市場ではメジャーとなっても、海外で通用しなければ意味がないと考えてるのだ。つまり大衆に迎合するのはアートの本質ではないということだ。
グローバルでもメジャーとなるアートであればよいのだが、アートはいくら人気が出ても個人が作る制作量には限りがあるので、グローバル・ニッチで十分なのだ。
それは一部の熱狂的なファンを持つようなアートをグローバル展開したときに強みへと転換することができるということだ。
その作品の持つ熱量であり、熱量のある作品はローカルであまり売れなくても、グローバル市場では大きな可能性を持つ。
また、グローバル展開に耐えうる作品には見た目での分かりやすさも重要なこととなる。
これはデザインのもつアイコン化とも通じるところであり、つまり、文字や説明などの言語の壁がなく、国籍や年齢を問わず誰にでもわかりやすいことが重要なのである。
誰にでも分かりやすく、熱狂的なファンを持ちそうなアート作品を我々は常に探している。
それはもしかすると、国内市場ではデザインのカテゴリーにいるようなアート作品であるかもしれない。