前著「教養としてのアート、投資としてのアート」が2019年に出版された時には、国内で「アートは投資になる」ということを言う人はほとんどいなかった。
もちろん、欧米ではアートが投資になりえることは常識として富裕層に理解されていたし、国内でもアート業界やその周辺にいる人は「アートの投資としての位置づけ」を十分理解されていたのだが、いかんせんそれを声高に言うことが当時は少しためらわれていたのかもしれない。
それより少し前の2017年。ZOZOファウンダーである前澤友作氏がバスキアの作品をサザビーズで123億円にて落札したことは大きなニュースになったが、まだ世間はそのニュースをお金持ちの道楽としての意味でしか捉えらておらず、残念ながらアートが投資になりえるという理解にまでいってなかったのだ。
日本の現代アート市場は約450億円で世界の0.6%しかなく、GDP比較では日本が先進国で最低ランクなのは悲しいことだ。また、中国本土は言うまでもなく、台湾、香港、韓国、シンガポールといったアジア各国と比較しても相対的に日本の市場が小さい理由は、アートが投資として理解されていないことに問題がある。
日本人がアートを買わないのは、幼少時の美術教育や自宅が狭いといった要因、または税制の問題について言及されることが多いが、実際にはそれが主な原因ではない。
それらの影響もなくはないが、それよりも日本人がアートを資産ではなく、インテリアの一部として捉えていることがもっとも悪影響を及ぼしていることは間違いない。
実際にタグボートが「アートは投資である」と対外的に言い始めて以降は、テレビや雑誌、ウェブメディアが「アート投資」をネタとして積極的に取り扱ってもらえるようになった。もちろんオークションハウスでの売買もそれに応じて活況となっている。
この2年半で、コレクターが投資としてアートを購入していることを堂々と言える時代へと変わったことが、30-40代の若手投資家が優良コレクターへと成長していくことにつながったことは言うまでもない。
アート投資への理解が進む一方で、依然としてタグボートの唱えるアート投資の中身を理解しようとせずに言葉尻だけを捕らえて、「アートを投機的な商品のように扱うとはけしからん」という人がいる。
そのような方には、表層的に物事をとらえずに、売買で稼ぐアートディーラーがやっている「投機」的なビジネスとは我々が目指す姿は根本的に違うことを理解してほしいと切に願う。
我々が常日頃言っているのは、アートの売買による収益を目的とした「投機」ではない。アーティストの価値を長期的に上げていくことを目的とした投資なのだ。
タグボートの企業理念は「アートで食べていけるアーティストの数を増やすこと」であり、そのためにはアーティストの作品を長期的に価値上げする仕組みが必要であり、その考え方の根幹にあたるものが「アート投資」なのである。
つまり、アーティストと、その作品を買い支えるコレクターとの関係性を、起業家とエンジェル投資家のような位置づけであると考えているのだ。
例えば、エンジェル投資家のようなコレクターはアーティストの才能に賭けてアートを購入して、彼らの成長を静かに見守っているのだ。
また、起業家の立場に置き換えられるアーティストは、世の人の心の琴線に触れる研ぎ澄まされた作品を作りだすために日々精進するだろうし、身を削って作った作品の価値が上がることを望むだろう。
そのためには多くのファンの獲得や対外的な高評価を得る努力が必要であり、アート投資にはその仕組みがなければ成功しないのだ。
事業経営でいうところの、商品・サービスの開発をする部分をアーティストが担い、マーケティング、販促をギャラリーが行い、それに必要な資金供給をコレクターが行っているのだ。
まだまだアート投資は、株式の売買差益を狙うデイトレーダーのような「投機」であると勘違いする人がいる中、今回の新著「現代アート投資の教科書」では、ビジネスの視点からアート投資というものを分かりやすく論じている。
アートを部屋に飾るインテリアという位置付けから脱して、文化を醸成するための投資として捉えれば、購入者は人生を豊かにすることができるはずだ。
せっかくアートを買うのであれば、より深くアートの持つ意味を知ることで充実したコレクションの構築を目指してほしいと我々は思っている。