ちまたでは「西洋美術史を知ることがビジネスマンとして必要」とか、「アート的なデザイン思考をビジネスに」といった本がよく売られている。
つまり簡単に言うと、ビジネスにアート的な感覚が役に立つということだろう。
そうなると、同じビジネスマンでもアートを見たり描いたりすることに興味を持つ人にほうが、アートを全く知らない人より優位に立つことになるのだが、本当だろうか?
実際にアートがビジネスにどのくらい役に立つのだろうか。
デザイン思考とは
最近は特に左脳的な論理思考に対して、右脳的な「デザイン思考」というアプローチがもてはやされている。
よくあるのが、デザインという言葉がそのままアート的な意味としてとられることも多いので、ここであらためてデザイン思考とは何かについて考えてみたい。
一般的には、「デザイン思考」とは、もの作りやクリエイティブ系の仕事にて使われてきた考え方である。
この「デザイン思考」とは逆のようにとらえられる左脳的な「論理思考」の使い方としては、決まった課題があり、その解決方法に重点が置かれている。
つまり、問題をツリー構造で整理、仕分けしたり、論理的に分析したりすることが重要なのだ。
それに対して、デザイン思考は、そもそも解決すべきことは何なのかについて考えることに重点を置いている。
つまり与えられた問題を考えるのではなく、ユーザーの問題が何なのかという出発点から考えるところに大きな違いがある。
そのあとは解決策を色んな方面から出来るだけ多くのアイデアを出してみたり、アイデアからプロトタイプ(試作品)をユーザーの反応を見ながらブラッシュアップしていくアプローチをとるのがデザイン思考の特色だ。
つまり、デザイン思考とは、英語のデザイン(Design)という単語が持つ「設計」などの意味に近く、一言でいえば、「ユーザーに向き合った考え方でデザインをするようにスマートに問題解決をしよう」というものだ。
結論からいうと、デザインという言葉だけが先行しているだけで、少なくともアート的なものとは関係ないということである。
デザインはクライアントのニーズに応じてものづくりをするが、アートはあくまで作家本人の自由意思によって作品を作るからだ。
芸術的な見識眼のある人が必ずしもビジネスの問題解決には有利ではないのだ。
アートとビジネスは逆の方向にある
また、最近はサイエンスとアートの両方がビジネスに必要だとも言われることが多い。
つまり、論理性が要求される一方でアートのような直感性を重視するべきだということだ。
しかし本来直感というものはそれまでの経験の積み重ねから生まれるものであり、当てずっぽうの直感でうまくいくビジネスは少ないのだ。
つまり、アートと合理性とは対岸にあり、非合理性が受け入れられるものがアートなので、ビジネスとは相性がよくない。
一方、アートというものは、世間の常識に対して真向から否定をしたり、これまで見たこともない光景を表現することが可能となのだ。
そのようなアートを知ることで、常識離れでとんでもない発想をする作者の考え方を理解し共感をすることは出来るのだが、アートを見ているからといって新しいビジネスのネタが思い浮かぶわけではないのだ。
アートを見ることや作ることによって、クリエイティブな感性を身に付けることは可能であるが、それはあくまで本人の自由な感覚を磨くことには役立つが、世の中のユーザーに役立てるものづくりが出来るがどうかとは違うのだ。
ここがアートがあくまで作り手の自由意志を尊重するのに対し、デザインはユーザーやクライアントの要求によってものづくりをしていることの違いなのである。
有用性とは関係ないところにアートが存在するのであり、ユーザー思考とはかけ離れたところにあるのだ。
つまり、アートはビジネスライクではないところに利点があるのであり、アートがビジネスの役に立つことはあまりないと理解したほうがよいだろう。
アートが脇役から主役になる時代に
ただしアートについて詳しく知ることによってまったく違うことが起こってきる。
アートについて理解して作品に投資した場合の回収率というものは、それを知らない人と比べると圧倒的に高くなるということだ。
つまり、アートというクリエイティブがお金になるという手段を知ることができるのだ。
すでに、欧米、特に米国では投資ファンドマネージャーや、精神科医、起業家など多くの成功者がアートを知ることで、アートを投資として高く運用している。
アートをビジネスのために利用するのではなく、アート単独でビジネスにすべきなのだ。
アートというものが端役扱いにされていた時代から主役になれる時代に近づいてきた考えるべきであろう。
アートとは世の中のサービスに役立てるためのものではなく、あくまでアート単体で十分にビジネスとしてお金にできることに頭を働かせる時代に来ている。
今現在で言えることは、来たるべきAIの時代には作業系の仕事は機械やコンピュータにとって代わるので減少し、人間にだけしかできないクリエイティブの仕事が残っていくということだ。
人間に残された創造性といった部分は残されて、それに従事するアーティストの数が増えるということだ。
誰もがアーティストと名乗ることができるため、参入者が多くなることは間違いない。
増え続けるアーティストのクリエイティブに価値が付くことで市場が大きく形成されるというのは資本主義において正しい流れであり、さらに競争も激しくなっていくだろう。
アートとはビジネスを円滑にするための「手段」とするのではない。
アートはそのような脇役には収まらず、あくまでビジネスの主役として躍り出ていくものになっていくのだと我々は考えている。