東京藝術大学の卒業制作展に行ってきた。
卒展では、大学で学んだことを実践する場として渾身の作品が作られ展示されている。
この卒業制作の作品は通常の大学における卒業論文と同じ役目を果たすこととなる重要な課題だ。
今回は作品をチェックしていきながらも、現在の美大教育における問題点について考えてみた。
プロを目指して常日頃から作品を作り続けている学生から見ると、卒業制作はそれまでの制作の延長上であり、特に学生時代を総括する意味ではないようにも思われる。
というのは、美術大学もしくは大学院を卒業する学生のうち企業への就職が決まっているものもいるが、そうではなくて「アーティスト」として食べていくことを選択する学生も多数いるはずであり、彼らにとっては卒業制作はプロへの通過点の一つにすぎないのだ。
美大を卒業後してアーティストを目指すものは一人の個人事業主として作品を売り、その販売額で生計を立てなければならない。
しかし実際には卒業後も親からの仕送りに頼ったり、コンビニなどアートとは関係ないアルバイトで何とか生活しているものが多い。
卒業しても個人事業主としての覚悟が出来ていないと、とりあえずは学生時代の延長で作品を制作をしてはみるものの、お金が尽きたらアルバイトを始めてしまうということだ。
美大生の時はアーティストという個人事業主として何かしたらよいかについては全く何も学校から学ぶことはないのだろう。
彼らは入学後の2年間は主に美術予備校からの続きのように制作技術を学び、後半2年ではとにかく「自由に作品を作る」ことを求められる。
つまり、そこでは何を作ってもよい自由は与えられるが、プロとして食べていくための作品を作ることは一切求められない世界だ。
さて、作った作品については学生自らが作品のコンセプトを説明するように教授に求められ、そのコンセプトを他の学生や教授の前で発表をすることとなる。
そこではコンセプトについて多くの方からのレビュー(論評)が行われ、手厳しい意見が交わされるのだ。
その一方、美術大学の教授のほとんどは残念ながら作品を売って生活をしていないので、作品を売るという仕組みを知らない。
つまり職業としてのアーティストとはどうあるべきかを語れないのだ。
ある意味で美大の中では売れる見込みのない作品を一生懸命に作り、売ったことがない人が論評をしている「趣味の世界」に入ってしまっているのだ。
これでは素人が素人を教えているようなものであり、論評をいくら聞いたところで売れる作品を作ることには到底たどり着かない。
アーティストが卒業するまでにアーティストとして必要なことを学ぶ機会は現在の美大にはなく、卒業後には何も知らない世間の荒波に揉まれることとなるのだ。
このままでは美大側が何もしなければ、教授は自身が所属する公募団体を紹介するくらいしかできないであろう。
そこで今後はアートのビジネススクールのようなものが求められていくと考えられる。
少子化が進み美大に入学する学生数が減る中で、同時にAIの技術が進みAI自体が作品を作れる時代へと変わっていくだろう。
そこでは美大が作品を作る技術を教える場としてだけでなく、個人事業主としてやっていくために必要な経営学、マーケティング、語学力を必要とするように変わるだろう。
また個人事業主として生きていくためのマインドセットが必要となるであろうし、さらにはアーティスト同士のヨコのつながりを作ることも必要となり、そこで切磋琢磨することが孤独な作業への励ましになっていくであろう。
また、現在の美術大学は就職先としての卒業後の出口が悪いことから特に男子学生からの人気が低くなっている。
特に私学は学生数だけから見ると女子大化しつつあるのが現状だ。
今後は就職の斡旋を強化するだけではなく、プロのアーティストとして食べていくための術を、実際にプロから学ぶことも重要だ。
このままではプロのアーティストを目指すことなく学生時代を謳歌して楽しむことが目的となっていくことになるだろう。
そのような学生はが美大卒業後も他者からの論評や指摘を必要とするようになり、いつまでたってもプロとしての独立心が育たない。
美大のこれからは、技術を学ぶ場だけではなく、将来をプロのアーティストとして独立することのマインドセットを学ぶ場も作るべきなのだ。