先日まで角川武蔵野ミュージアムで開催されていた「タグコレ 現代アートはわからんね」は、タグボートの生みの親であり実業家の田口弘さんとその娘の田口美和さんによって構築された現代アートのコレクション展である。
「現代アートはわからんね」のタイトルは田口弘さんが現代アートを見るときによく言われる言葉であり、よく分からないからこそ未知との遭遇にわくわくするという。
そういうアートの魅力に惹れていって壮大なコレクションにつながったようだ。
数十年にわたって世界中のアート作品を収集しながらも、今だに「現代アートは分らない」ものであり、だからこそ興味がわき続ける対象であったとのこと。
さて、確かに現代アートは分りにくいものである。
我々は職業柄、様々な展示を通して年間数万点のアート作品を見ているが、それでも現代アートは分からないままである。
しかしそのアートのもつ不思議さを探求できるから面白いと思っている。
これはアートだけに限ったことではない。
分からないからこそ興味がわく人と、分からないままにする人との間には壁があるように感じる。
例えば、AIやNFT、メタバースなど最新のテクノロジーについて分からないままにする人と、よく分からないけど使ってみようと思う人とは長年の間に大きな差が付くことになるだろう。
自分が知りたくない情報は知ろうとしないし、自主的に情報を遮断してしまっている人は多い。
しかしながら、そこに壁が存在しているのだ。
特に高齢化していくと人は保守的になり、分からないものには目をつぶってふたをしてしまう。
現代アートの壁はどこに存在しているのかを考えてみよう。
停滞する日本と現代アート
ちょうど広島サミットが終わった直後なので出てきた記事であるが、以下にこの23年間でG7諸国の一人当たりの名目GDPがどのように推移したかの一覧表がある。
2000年に開催された沖縄サミットのときの日本は一人当たりのGDPがG7で最も高くて1位だが、そこから23年経った現在はG7でのGDPは最下位となった。
日本以外の国では23年の間でほぼ2倍になっているが、日本だけが低下しているのだから無理もない。
※野口悠紀雄のデジタルイノベーションの本質から抜粋
また、23年前の日本の1人当たりGDPは韓国の約4倍だったのだが、今では日本と韓国がほぼ同じ水準になった。台湾も韓国とほぼ同じ水準にいるとのこと。
つまり日本は、1980年代に新興国であるNIESとよばれる韓国、香港、台湾、シンガポールに並ばれ、今後は日本がどんどん追い越されていくことになる。
こんなことになってしまったのは、簡単にいえば高齢者大国である日本が少子化をさらに悪化させ、政府の施策や産業構造がその老齢化社会の要望に対応したものとなっていることが元凶のひとつであろう。
この構造はアートの世界でも同じであり、他国のアート市場が成長する中で日本だけが伸びていないため、平成バブル以降は先進国最下位のままである。
日本はマーケットそのものが小さいにもかかわらず、他業界との壁がありこのままでは世界で取り残されることになるであろう。
日本のアート市場を形成しているのはいまだに65歳以上の高齢者であり、写実の美人画などが闊歩する業界の構図は変わっていない、つまり現代アートを分かろうとしない人が多いままなのだ。
壁はアート業界の側が作ってきた
コラムの最初のところで、現代アートは専門家であっても分からないものであると言った。
実際、作家の意図が理解できなくても感覚的に好きとか嫌いとかで通じる世界でもある。
日本人は真面目すぎて展示されているアートが分からないでいることを恥じる文化があるが、そんなことは全くないのだ。
もっとアートを自由に楽しめばよいし、お勉強をしなければいけないものではない。
なぜアートが一般の人にとって近寄りづらいものになったかは、日本の美術側にも原因があると言ってよいだろう。
アートを分かりやすく伝えることが重要であるにもかかわらず、美術業界側が難解なコンセプトをアカデミックな言葉を使って説明しているからだ。
これが我々がアートを遠ざけている要因のひとつだ。
もし日本が欧米ほどの市場規模があれば、その中での見栄や差別化は必要とされるが、そもそも欧米とは2桁違う日本の弱小市場ではそんなことをしている悠長な時間はない。
養老孟司によれば「人間の脳は、できるだけ多くの人に共通の了解項目を広げていくことで進化してきた」とのこと。
アートが一部の美術関係者のアカデミックな論理の中だけにいては、マーケットが広がることはない。
デザイナーやイラストとの壁はもちろんのこと、ファッション、音楽、芸能との壁をなくすよう我々の側が意識しながら壊していかないと未来はない。
小さいマーケットの中でかっこつけている暇はないのだ。
タグボートは待ったなしの日本のアート市場において、先陣を切って様々な業界との壁を取り払っていきたいと思っている。
そのために、「アートは投資になる」という言葉を敢えて使っているのだ。
今こそ積極的にアートにはびこる様々な壁を壊していかなければならない時代なのだ。
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