インターネットがすでに当たり前の世界となった現在、アーティストの活動は変わったのだろうか。
ネット社会が到来する前のアーティストがどのように作品を制作し、それを発表していたのかを想像してみよう。
90年代半ばまで、アーティストは制作した作品を貸画廊以外で発表する場というのがなく、限りある選択肢の中でしか作品を見せる機会がなかった。
貸画廊も安いものではなく、1週間で20万円以上かかるのが普通だ。
そのお金をいつでも出せるアーティスがいるわけではないので、画廊を借りて展覧会をすることがなければ作品は溜まるばかりだ。
つまり、多くの未発表作品が死屍累々と売れることもなく積み重なっていたと考えられる。
それは積もり積もって大きな山となっていったのだろう。
ネット社会以前の日本で作家の救世主役となっていたのが公募団体だ。
公募団体は毎年必ず大規模な展覧会を美術館で開催しており、団体に所属する作家はその展覧会を目指して作品を作っている。
団体の中で認められるためには、何回かの展覧会で入選・入賞する必要があり、その賞をとるためには作品がよいだけでなく、団体の先輩たちに覚えてもらい可愛がってもらうことで団体内のヒエラルキーの階段を上っていく。
公募団体では本人の実力とは関係ない別の力も働いており、団体の中で出世するには時間が膨大にかかる。
団体に所属するにも年会費などのお金がかかるし、展覧会用の出品費用もばかにならない。
しかも団体に所属していては作品の販売には繋がらないので、制作された作品は誰からも購入されずに作家のアトリエに溜まっていくばかりであった。
さて、インターネット以前は誰もがその死屍累々としたアート作品の山に気付かずにいた。
気付くすべがなかったというほうが正しいだろう。
インターネット以前のアートコレクターは自分がどんな作品が好きなのかを模索しながら、画廊で見かけた展示作品の中で購入の選択肢を迫られていた。
となると、いろんな作家の作品を見てみたいコレクターは、自分に足で一軒一軒ギャラリーを回って作品をチェックすることになる。
それ以外で各ギャラリーが展示している作家を一覧で見る方法がなかったからだ。
いまだにインターネット以前の感覚で運営しているギャラリーは少なくない。
ギャラリーで展覧会が終わればそこで一旦展示していた作家の販売は終わり、次の展覧会へと販売する作家は移っていくその繰り返しだ。
展覧会が終わった後には、未販売となったアート作品がどんどん積もり続けている事実を知りながらも次に進んでいっているのだ。
インターネット以降は情報の公開が進むところに多くの人が集まることになる。
土曜日にまとめてギャラリー巡りができない人にとっては、ギャラリーのサイトで展覧会の様子や展示作品が見れるとありがたいし、一挙に多くの作品から選ぶことができる。
どうしても現物の作品を見てから購入を決めたい人もいるだろうが、その場合には事前に作品をチェックしてからギャラリーに訪問すればよいので無駄も省けるのだ。
つまり、インターネットの出現によってこれまで個別のギャラリーに情報が集中していた時代から、アーティストも自分でホームページを持つことで情報が分散され、仲介業者を介さずに販売することも可能となったのだ。
ネットによって展覧会をする貸画廊の場所代を払わなくても、アーティストが直接作品を見せる「場」というものが出来た。
さらに未発表や見販売の作品を見る機会もコレクターやアートファンにも広がったのだ。
ネット社会の到来は、作り手であるアーティストにとってそれ以前と比べると圧倒的に有利な立場へと変わっていく。
素晴らしい作品はあっという間に世の中に知られることとなり、一気にスターダムに乗ることも可能となってきた。
アーティストが業者を選べる立場となり、自分が制作した作品を複数の業者を経由して販売することが当たり前の時代なのだ。
アーティスト自身も時代が変わったという事実を理解して動くべきだ。
ギャラリーの所属作家になったということだけで満足していたら食べていけない時代は今も昔も同じである。
時代遅れのギャラリーは今でも所属作家を自分のところ以外で販売されることを禁じているが、そんなことができる時代はとうに終わっている。
毎月制作費を給与として支払うか、作品を買い取らない限りは作家を独占することはできない。
実際に海外の大手ギャラリーがアーティストと独占契約をする場合は、破格の条件を提示しているのだ。
Gagosianのような世界最大のギャラリーが、自社のギャラリーで展示している作品をウェブで公開して販売をスタートしたのがはここ最近の話であり、アート業界も遅ればせながらネット社会に置いてけぼりを食らわないようになっている。
そういう情勢では、将来はアーティストにとって薔薇色にも見えるが、実は競争は激化していく。
ネット社会の到来はアーティスト同士の熾烈な生き残り競争に突入したことをも意味するのだ。