先週は京都国際会館で開催されたArt Collaboration Kyotoに行ってきた。
日本国内のギャラリー数十軒がホストとなり、海外のギャラリーをゲストとして招聘し、ブースを共有して出展するアートフェアだ。
また京都ゆかりのアーティストだったり、京都と何らかの関係がある展示をするなど、京都らしさがあちこちで散見されるフェアでもあった。
日本はアート市場が小さいため海外のギャラリーが出展しても作品が売れにくいことから、アートフェアへの出展があまり積極的ではなかったという課題が残っている。
国内で開催されるアートフェアがインターナショナルな雰囲気になりにくいのはそういう一面もあるだろう。
Art Collaboration Kyotoの新しい取り組みによって、海外のギャラリーが日本のアートフェアに気軽に出展できるような雰囲気につながればよいだろう。
今回その試みは成功しており、海外のギャラリーの出品作に対応する形で各ギャラリーが揃えた作品には超絶技巧やイラストアートは皆無であった。
国内最大の「アートフェア東京」であれば、古美術、工芸、近代洋画、日本画といったような海外のアートフェアでは見ることのない作品群も並ぶのだが、今回のArt Collaboration Kyotoはクオリティの高い現代アートのみで統一されており、インターナショナルな市場に対応した作品が揃えられたといってよいだろう。
最近流行りのイラストアート(80年代のイラストや漫画をオマージュした作品など)が、新しい京都の取り組みでは排除されていたが、その一方でイラストアートのオークション取引での人気はすさまじい様相となっている。
先日のSBIアートオークションでは異常なまでの落札値をたたき出していた。
異常な値上がりをしているイラストアートのかなりの部分はインターナショナルなアート市場では見ることのない作品だ。
KYNE、バックサイドワークス、TIDE、LYといった作家であり、すべて本名でないというのも今時なのかもしれない。
シルクスクリーンやジークレープリントなどの版画で400万円超で落札されるなどすでに草間彌生に近い価格にまで跳ね上がっている。
なぜ日本のセカンダリー市場では国内市場でのみ通用するアートが強いのだろうか。
まず、日本には独特のガラパゴス市場があるということの理解が必要だ。
具体的に言うと、投機に走るセカンダリー市場と、それとはリンクしないプライマリー市場である。
なぜこのように、ねじれ国会のようなアート市場が日本に存在するのかを考えたい。
分かりやすく言うと、プライマリーの顧客とセカンダリーの顧客はその層がまったく違うということに尽きる。
例えば、お金儲けの手段として手っ取り早くアートを買いたいが、何を買えばよいか分からない人の場合、セカンダリー市場で買うことには安心感がある。
すでに人気があって、出品したときに売れることが確約される作品しかオークションには出ないからだ。
先日のSBIアートオークションでの落札率が97%からも分かるように、売れにくい作品は出品されないということだ。
もう一つは、ギャラリーでは人気の作家は競争が激しく手に入りにくいのだが、セカンダリーであればお金さえだせば確実に買えるということだ。
また、30-40代のプチ富裕層にとって、投機としてアートを買うときに真っ先にオークション会社が頭に浮かぶのは、バスキアを高額で競り落とした前澤友作氏の影響が強いのかもしれない。
このように、セカンダリーを購入のメインにしている方は投機的な意味合いで買う人が多いだろう。
一方で、プライマリー(主にギャラリー)で買う人はどちらかというと純粋にアートを楽しむ人であり、コンセプチュアルアートなどにも強く興味を持っているコレクターが多いように思われる。
とは言え、なぜイラストアートに人気が集中したのだろうか。
イラストアートが令和の時代になって投機的なアート市場に出てくる意味とは何だろう。
80年代に突如起こったへたウマとよばれるイラストブームは日本的なブームとなったのだが、本当は描けばうまいのに、あえて技巧を稚拙にすることで個性や味となっていた。
スーパーリアリズムのような技巧派が日本の広告デザインにも使われた70年代の後に、あえて肩の力が抜けたようなイラストを入れることでユニークさを追及したものだ。そこにはパロディあり、ナンセンス、エログロ、といったものまであった。
バブルに入る直前に、クリエイティブの多様化が広がり始めた時期である。
このようなへたウマに比べて、オークション市場で活況の現在のイラストアートとは何がどう違うのか、それについて次週で具体的に述べていきたい。