前回のコラムでは、アートを購入する層を具体的にデータを使ってどのような人が作品を買っているかを分析することでざっくりとご理解できたかと思う。
今回はさらに、その購入層の行動心理を分析することで、人間は何をよいアートであると認識し、その価値をどのように享受するのかについて考えていきたいと思う。
認知してもらうこと
まずは、人間は何をよいアートと認識するかであるが、人が一定のアート作品に対して好意を持つ場合に、一度どこかで見たことのある作品であるかどうかは重要だ。
人は目に触れる回数が増えれば心理的に親近感を感じるものだからだ。
であれば、人の目に触れさせる施策は重要となる。
初めて観た作品にも郷愁や懐かしさを感じることがあるが、おそらくそれはどこかで既に見ていて頭の片隅に記憶されていたのだろう。
「記憶し続ける」というのは、つまるところ「忘れていない」ということである。
人間は覚えたものを一定確率で忘れていくという「エビングハウスの忘却曲線」の理論がある。
エビングハウスの理論では、人間は覚えたことを翌日には34%しか覚えていないと言われている。
従い、アートでも記憶に留めておくための効果的な方法が必要である。
人は一度見たものを1ヵ月後にその79%を忘れており、完全に忘れるタイミングの前に何度か目に触れてもらうことで、記憶を定着させるのである。
久しぶりに見た作品が記憶に残っていれば、脳内でニューロンとニューロンがビビビとつながりあうこともあるだろう。
ウェブサイトで検索をして作品を見つけることもあるが、どちらかというと偶然の出会いの中で作品を選んでしまうこともかなりの確率で発生するのだ。
そうすると、なるべく同じ時期に集中して様々なチャネルを使うことで作品を印象付けるだけでなく、その後も継続してらせん階段式に記憶を呼び戻す工夫が必要だ。
タグボートも作品をウェブサイトやメールマガジンで一度見せるだけでなく、1、2カ月の頻度で作品を繰り返し見せることで記憶に粘り強く定着させる効果を狙っている。
アートは認知させることで心理的に親近感を生むこととなり、知らない作品よりも圧倒的に有利になるのだ。
評価に対する信用
アート作品は個人的によいと思っても、それが高価であればあるほど自分の評価に自信が持てない場合が多い。
ある程度の価格の作品については、自分だけの趣味嗜好に頼らずに対外的な評価を加味した上で購入を決定することになるだろう。
作品評価とは一般的には定量的な評価と定性的な評価の2つの組み合わせとなる。
オークションハウスの過去の落札価格やカタログに掲載されるエスティメート価格がある意味では定量的な評価であり、購入決定の目安になる。
しかし、オークションにまだ出てこない若手アーティストの作品については、買いたいと思うかどうかの決定は定性的な評価となるのだ。
定性的評価は個人の持つ感覚や情緒を評価することなので、アートについての知識や情報に絶対的な自信がなければ自分の感性よりも他人の評価を信用せざるを得ないだろう。
人事制度の360度評価のように、個人的な感情だけでなく、なるべく多くの人が感じた意見を総合的に判断することも一つの方法ではあるが、アートの場合はそれは難しい。
例えば、技術力、先進性、インパクトのうちひとつでも突き抜けて高い評価があれば、全体の総合点やバランスなんかは関係なくなるのがアートだからだ。
そこで定性的な評価としては、第三者の意見、特に誰が評価したかといった属人的なものに頼らざるを得ないのが現状だ。
定性的な評価が分からないからこそ、オークションハウスで最近は誰の作品が何%くらい上がっているかといった定量的なデータが購入者の判断にならざるを得ないのが今の国内市場なのだ。
日本のアート市場はまだ着火剤に火が灯ったばかりの黎明期ゆえに、第三者による定性的評価の情報が少なく、オークション結果という少ない定量的なデータに偏っている。
つまり、これからはプライマリー(一次)市場でのギャラリーが発信する作家、作品の定性的な情報の質と量が日本のアート市場を左右すると言っていいだろう。
火が灯ったばかりの薪に空気を吹き込むのは「情報」であり、そのほとんどはネット経由によるものになるだろう。
Amazonのレビューのように、多くのアートファンからの定性的な評価を比較検討することができる時代になれば、評価に対する信用度は増すことになるだろう。
このように、人がアートを購入する行動心理というものは、目に触れる頻度によって認知度を上げること、定量的なデータだけでなく定性的な情報が増えれば買いやすくなる、ということが分かる。
しかしながら、一方で人間の嗜好性というのはそれまで個人が見聞きした経験によって成り立つものであり、そこには合理的な判断を超えるものが存在する。
そういった科学では割り切れないのがアートの魅力であり醍醐味なのだ。
それを十分理解した上で、アート市場全体をこれからも科学的なアプローチで考えていきたいと思っている。
タグボート代表の徳光健治による著書「教養としてのアート、投資としてのアート」はこちら