子どもは世界を映す鏡である
「こども」という存在をテーマに描く画家・榊貴美の作品を前にすると、まるで心の奥がそっと揺れるような感覚に包まれる。
彼女の描く子どもたちは、無垢でありながら神聖で、現実と空想の境目をふらふらと行き来しているように見える。
だがそれは単なる「かわいい子ども」ではない。むしろ、彼女の絵の中の子どもは、こちらの心の中をじっと見つめ、問いかけてくるようだ。
「あなたは、あのときの自分を覚えていますか?」
榊はこの「子ども」を、作品のなかで「装置」として描く。
つまり、子どもは絵の主役でありながら、同時に私たちの記憶や感情を映すための“鏡”なのだ。
その視線に触れることで、忘れていた記憶や、しまい込んだ気持ちがふいにあふれ出す。まるで、眠る前に聞いた物語が、夢の中で続いていくように。
制作は、問いからはじまる
榊の作品は、技術や素材にも確かなこだわりがある。
ベースとなるのは、白亜地という平滑なパネルだ。ここにアクリル絵の具や油絵具を重ねては乾かし、また重ね、場合によっては削っていく。
単純に見えるかもしれないが、この「削る」という工程には、まるで彫刻のような丁寧さと、時間をかけて物語を掘り起こすような慎重さがある。
彼女は一度に複数の作品を制作する。なぜなら、ひとつの作品だけでは語りきれない問いが、次々と湧き上がってくるからだ。
それぞれのシリーズは異なるテーマを持ちながらも、どこかでつながっていて、まるで作品たちが目に見えない「会話」を交わしているようだという。
たとえば「Littleシリーズ」は、コロナ禍の不安のなかで、「このくらやみのなかで、何を守るべきか?」という問いから生まれた。
暗い背景に、動物のフードをかぶった子どもが描かれている。守られる存在でありながら、こちらを見つめ返すその瞳は、どこか覚悟を持っているようにも見える。
物語と絵画のあいだで
榊が育ったのは、和歌山県の熊野地方。
自然と信仰が混ざり合う土地で、彼女は走り回りながら、空気や音や時間の「流れ」に触れて育った。
夜になると、両親が絵本や童話を読んでくれた。その体験が、現在の作品世界の土台になっている。
絵本や児童文学、寓話などから得たインスピレーションは、彼女の中でゆっくりと熟成され、やがて絵として立ち上がる。
ときには、子どもの描いた落書きや、寝ている姿すらもインスピレーションになる。日常のささいな風景のなかに、彼女は「もうひとつの世界」への扉を見出す。
榊にとって作品とは、今を生きる自分と、過去の自分、そして見る人との対話の場である。
そこには答えがなく、ただ深く、静かに問いが差し出される。まるで、眠る前にそっと耳にする物語のように。
私たちは皆、かつて子どもだった。そして、そのときに感じたことや見えた景色は、思い出せないようでいて、実は心の奥にずっと眠っている。
榊貴美の作品は、その眠っていた記憶を、そっと起こしてくれる。
だからこそ、彼女の絵の前では、少しだけ目を閉じて、あの頃の自分の声に耳をすませてみたい。
きっと、その向こうに、今の私たちが見失いかけた何かが、ひっそりと輝いているはずである。
榊貴美の作品には、ただの絵では終わらない力がある。それは、「飾る」ためだけのアートではなく、「思い出し」「見つめなおし」「受けとめる」ためのアートである。
子どもという普遍的なモチーフを通じて、私たちが忘れてしまった大切な視点を静かに取り戻させてくれる、そんな装置のような存在だ。
技術的にも、白亜地の下地にアクリルと油彩を重ねるという手間と時間のかかる工程を経て、繊細で滑らかな画面が生まれている。
そのひとつひとつが、長い思索と準備を経て生まれた「思考の結晶」ともいえる。
さらに、シリーズごとに深まっていく問いの積み重ねは、彼女の作品群全体を「一冊の分厚い物語」として読むような、連続性ある体験を可能にしている。
アートはしばしば、「今」だけの流行に流されがちだ。しかし榊の作品は、流行ではなく「記憶」と「問い」に根ざしている。だからこそ、時代が変わっても色あせることなく、むしろ年月とともに価値が深まっていく。
もし手元に一枚、榊貴美の作品があるなら、それは単なる所有物ではない。
それは、あなたの中に眠る「こどもだった頃のあなた」と、静かに語り合うための窓になるだろう。その価値は、美術史のうえでも、あなた自身の人生においても、決して小さくはないのである。
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榊貴美 Kimi Sakaki |
7月11日(金)からギャラリーにてグループ展「Made in Child」を開催いたします!
「Made in Child」
2025年7月11日(金) ~ 7月29日(火)
営業時間:11:00-19:00 休廊:日月祝
※初日の7月11日(金)は17:00オープンとなります。
※オープニングレセプション:7月11日(金)18:00-20:00
入場無料・予約不要
会場:tagboat 〒103-0006 東京都中央区日本橋富沢町7-1 ザ・パークレックス人形町 1F