アートにおける、民主化と学術化(アカデミズム)は二律背反するようで、実は同時に進んでいる。
アートが市場の中で価値を持つには、民主化と学術化の両方が重要な意味を持つことを今回は説明したい。
アートのアカデミズム
作品そのものをより詳しく論理的に説明するためには、深く鋭い考察が必要である。
作者の意図するものを説明するだけではなく、その作品が美術史のどの文脈に位置づけられるかを説明することが必要だ。
なぜそこまでするかというと、アートのような文化的価値がある資産は人類の歴史に残さなければならないからだ。
工業製品のように使用することが目的で、いつか朽ちていくものとは違い、アートは最初から作者が亡くなった後にも残していくことを目的として作られていく。
音楽にしても、映画にしても文化として後世に残すということは、作品がその時代に存在したことを説明できることに重要な意味を持つのだ。
時代を反映させた作品がその時の環境下でどんな意味を持っていたかを、人類の歴史に記録として残しておく必要があり、それがのちの学問として文化の研究に繋がるものだからだ。
アカデミズムの役割はそれだけではない。
アートを美術史の文脈で読み解き説明することはアートの価値付けにも加担することになるのだ。
それがどういうことかを簡単に説明しよう。
アートの価格は非常に分かりにくい要素によって構成されている。
作品価格の90%以上が原材料ではない付加価値によるものであり、その付加価値は制作に要した時間、作家のこれまでのキャリア、技術だけではなく、作品の人気度を加味した上で決定される。
しかし、それだけでは付加価値を示すのにはまだ十分ではない。
特に500万円を超える作品になってくると、なぜその作品が美術品として価値が高いかを論理的に説明できなければ富裕層は買ってはくれないからだ。
論理的な裏付けがなければ、大枚を払ってまでアートを買うことはないだろう。
特に、ビジネスの世界で生き抜いてきた富裕層にとって、アートを好き嫌いの感覚で購入を決めるより、その価値を合理的に説明できていることが重要なのだ。
だからこそ、アートを学問として後世に残すといった目的以外にも、美術市場においてその価値付けを構成する重要な要素としてアートのアカデミズムは機能しているし、今も着々と進められている。
アートの民主化
アートのアカデミズムが進む一方で、アートの民主化も同時並行で進んでいる。
アカデミズムによる価値の裏付けがされる一方で、それが進みすぎると、一部のアート作品の価格が高騰してしまうという現象が起きる。というか、すでに起きているのだ。
そうなると一般庶民からすれば、アカデミズムの進行によって富裕層がアートを独占していくように感じるだろう。
本来なら美術史など知らなくてもアートを楽しむことができるし、アーティスト側も制作時に難解なコンセプトを考えていないのに、高く売るために小難しいコンセプトを作品に植え付けようとすることが横行するだろう。
そうなると、アートがどんどん理解しにくいものになるし、一般の人からは遠い存在になっていくに違いない。
アートがより身近になり、親しみやすい存在となるには、アートの民主化は必要不可欠である。
そもそも王侯貴族が絵師に描かせていたことに始まるアート市場であるが、今では多くの人が買える商品として一般化してきた。
億を超えて高騰する作品が数多く出る一方で、誰でも買えるような版画などマルチプル作品も増えており、それがアート市場全体の底上げにつながっている。
市場全体の将来としては、アートが民主化されるトレンドが止まることはない。
マンガやイラスト、ゲームキャラクターだけでなく、音楽やファッションの業界から生まれる新しいデジタルアートもこれからどんどん出現していくだろう。
そういった民主化によってサブカルチャーがハイアートへと昇華し、どこかの段階でアカデミズムが評価する対象となっていくことを我々は理解しておく必要があるのだ。