「投資」と「社会貢献」というと全く別物のように感じるだろう。
通常は投資はお金儲けのためにするものであり、社会貢献は公共のために行うものなので相反する行為のように思われる。
しかし、アートにおいては投資と社会貢献の2つを同時に満たすことが可能なのである。
まずはどのようにアートで社会貢献ができるかについて考えてみよう。
まず一つ目は、アートを買うことで若手アーティストを支援することにつながることだ。
アートを買うという行為が作家の生活を支えることに直接つながるため、これが文化を支える最も重要なことであり間違いなく社会貢献といえるだろう。
ただし、これはギャラリーから買う場合のみ社会貢献につながるのであり、オークションやセカンダリーディーラーから買う場合には当てはまらない。
ギャラリーから購入する場合には、通常アーティストに購入額の約50%が支払われるが、その作品が一旦顧客におさまったあとにオークションなどのセカンダリー市場で取引をされてもアーティストには一銭も入ることはないからだ。
作家支援のために、展示場所を提供したり、メディアで紹介したりといったことがあるが、作家にとっては作品を購入することこそが、制作をするために必要な費用となり作り続けるモチベーションにもなるため最も効果的なのだ。
従い、アーティスト支援として公共団体などが行うべきことは、町おこしイベントにアーティストに参加してもらったり、公募で賞を与えることではなく、作品を購入することに尽きる。
いろんな場所でビエンナーレ、トリエンナーレが開催されているが、それによってアーティストが潤ったという話はあまり聞いたことがなく、時間がとられた割には制作費の額が十分でないことのほうが多い。
少し前の話になるが、1929年の大恐慌に際して、アメリカ合衆国政府が行ったアーティスト救済の手段として連邦美術計画(Federal Art Project)というのがある。
ルーズベルト政権の肝いりで、大恐慌で窮地に陥ったアーティストを救済するため、全国にいるアーティストを動員して各地の駅、学校、集団住宅などの公共建築に壁画や彫刻を作ってもらいそれを買い取ったのだ。
その後この政策はヨーロッパにも拡散し、学校建築への建設予算の1%を限度とする芸術的装飾の導入を定めた法律が1949年にフランスで初めて法令化された。
以降、欧米を中心にこの1%法案は波及していった。
アーティストへの公的支援から始まった制度だが、建築とアートの協働によってよりよい都市空間をつくり、市民が日常的にアートに触れる機会を増やそうという理念が拡大していき、パプリック・アートやコミッションワークの普及にも影響を及ぼしている。
このように欧米ではパブリックアートやコミッションワークを作ることが法令化され、それがアーティストを直接支援することにつながっているのだ。
それに比べて日本の場合は、自治体独自の文化行政のなかで期間や事業に限定して行なわれたイベントばかりゆえ継続性に乏しく、現在ではほとんど立ち消えの状態が多い。
これからは、国内自治体の人間がアートのもつ本質的な価値を理解すること、そのうえで文化として恒久に役立てること、それに対して十分な対価として作品を購入することが必要となるだろう。
さて、作品を買うというもうひとつの社会貢献として、「後世に残すべきものを保管する」という意味合いがある。
誰も買うことがなく残った作品は作家が亡くなった後には有名作家でない場合は、遺族が保存しないのであれば廃棄されゴミと化してしまう。
アートとは売買を通して世の中に残されていくものであり、ある意味で売れなかった作品というのは価値が認められなかった作品となってしまうのだ。
売れない作品は文化的な価値として流通されなかったこととなる。
だからこそ、よい作品は購入されてコレクターに持ってもらう必要があるのだ。
購入者はコレクションした作品を、作家の回顧展のときに美術館に貸与したり、本人が亡くなった後に寄贈することもあるだろう。
つまり、アートを買うという行為は文化を保管する行為の一端を担うことにも通じるのである。
美術館やギャラリーで作品を鑑賞したり画集を買うだけでは文化を保管したり作家を支援することにはならないが、購入することは積極的に社会貢献に参加していることになるのだ。
購入するという経済活動がマーケットを作り、そのマーケットがあるからこそアーティストが育つのだ。
日本のアートが負のスパイラルに陥いるのを食い止めるために、アートのもつ価値として社会貢献と投資の両面があることを一般の方に理解してもらわなければならない。
地道な啓蒙活動が人々の意識を変え、アーティストが生きやすい環境を作っていくことを望むばかりだ。