タグボート取り扱いアーティストの皆さんに、インタビューに答えていただきました。
作品制作にまつわるあれこれや、普段は聞けないようなお話などが満載です。
毎週更新していきますので、ぜひぜひご覧ください!
小さいころから絵を描くのが好きでしたか?
はい。絵を描くことを自分からするようになる前は、純粋に色をえらんだり観察して描いたりすることが好きでした。自然に囲まれて育ったおかげか色や形や感触が周りにあふれていましたから、それをまねしたり、描いて手元に残しておくような感覚でやっていたように思います。
物心がついて自分から絵を描こうと動き出すようになってからは、絵を描くことが好きというより、絵を描いている時や描いた後、何か起きる瞬間が好きになりました。自分の中に生まれた気持ちや、新しく出会った物事を絵に描く過程で理解できたり、絵を見せた時に大人が言うことを聞いてみたりするのが好きでした。今の制作はその頃にしていたことと通ずるところがあると思います。
(今も埼玉の奥地の実家の自室を改良してアトリエにしています。通勤時間は長いですが、人間以外の生き物が圧倒的に多いこの環境は自分にとってとても重要です。)
美術の道に進むことになったきっかけは?
中高にかけて教育方針がとても厳しい学校に通っていたのですが、ルールや常識への異常なまでの固執がとても窮屈に感じられ、その教育の目的も当時はよくわからなくて、その環境によって自分の中で生まれた苦痛や、怒りや、どうにもならない感情をエネルギーにして、絵を描くようになりました。前述の通り絵を描くことは私にとって世界を理解することです。疑問に思ったことや素直な感情を表現する過程で、やがて自分たちの周りのものごとに対する理解が深まり、世の中にある様々な問題が明確になっていくのを感じました。そこから、美術を続けることで世の中のわからないことをもっと理解したいと思うようになりました。
初めて作品を発表したのはいつ、どんなときですか?
作品と呼べるものができたと感じたのは、修士1年の終わりあたりでした。自分が表現したいと思っていることの根幹にある動機は何なのか、また、それを作品として表に出す時、どうすれば相手に見てもらえるのか、どうすれば一緒に考えることができるのか、それらが作品の上でうまくかみあったと感じるまで、多くの実験と失敗がありました。そして、恵まれた環境で生きてきた平凡な自分が苦悩や怒りをただ一方的に表現したとしても、結局それはただの自分本位な文句でしかなく、また、それを見て他者が出した感想は自分が想像していたものと違う場合が多いことに気づきました。それは私と他者が違う人間で、それぞれのルーツ、生活環境を持っているから当たり前のことです。同じ人間であっても必ずしも世界の見方が同じではないという事実を、しっかり受け入れて表現できていなかったのだと思います。
それから、自分自身のルーツと、他者の中で育まれた世界の見方の違いに目が行くようになり始めました。自分が生まれ育った土地のこと、家族との関係、今まで関わってきた物事は、平凡に見えて実は自分にしかわからない価値観を確実に育んでいました。それは他の人も同じこと。私はそういった他者の感覚を端から端まで理解しきることはできないけれど、自分が見る世界の断片を見せて相手に刺激を与えることで、私自身がもつ違うものの見方の、可能性を見せることができるのだと思います。やがて、私のような小さな存在が育んだ価値観だとしても、その可能性を認識してもらえるような作品を作れば、お互いに許しながら理解しあえる社会の足しになりえるかもしれないと思うようになりました。
それから作った作品は、多様な考え方の可能性を問うようなメッセージを含むようになり、やがて私はペット動物たちをモチーフに選ぶようになりました。その背景には、両親が獣医をしていたために小さい頃から飼い主とペットの関係を見つめていたことと、田舎ゆえに同世代の子供がおらず、動物側の視点で世界を見ていたという私の幼少期の環境の影響があると思います。
そうして、修士1年のときに「散歩しないでもいつも糞をする場所の雑草の匂いを味わえるガム」という作品をつくったのですが、それが自分にとって初めての作品らしい作品でした。
この作品には、人間が生みかねない自分勝手な商品が描かれています。散歩をして糞をするとき、いつも同じ雑草の場所でするから、それなら散歩なんかしないでいいようにその雑草の匂いのガムを作ってやろうといういらぬ愛情、押し付けがましい思いやり。犬は被害者のように見えますが、犬も大体は人間のことが好きですから、おそらくすんなり受け入れてしまう。動物用のそういう一方的な商品は、人間が動物の自由を奪っている!という怒りを持った考えを生んだりすることもありますが、犬には言語がないので実際の心は私たちに明確に伝わらないし、もしかしたら人間が期待したとおり散歩が大嫌いで、ちょうどトイレだけ誘発させたいんだよなと思っている犬もいるかもしれない。
ガムの存在は真っ赤なうそですし、前述のとおり彼らの本心は絶対に私たちにはわかりません。けれどもその無意味ともとれるような商品が目の前に現れた時、私たちは自分たちの持つ価値観で言葉がしゃべれない犬達のために議論をすることを要されます。そういう環境で生まれる議論こそ、終わりがないけれどとても重要なことで、私たちは一つ一つの考えと、それをだした人間の一人一人の立ち位置を慎重に考えていかなければならないのだと思います。
制作する日はどのようなスケジュールで進めていますか?
考える時間は長く、作る時間はなるべく短くという意識で制作しています。絵を描く時は、考えをメモするような直感的な感覚でやっています。東京で仕事をしているので、埼玉からの長い通勤時間を読書や考えごとにあて、何か思いついたら断片的な言葉でもいいのでメモしています。夜寝る前に浮かんだものが寝ている間に良いイメージに育っていて文字通り笑いながら起きることもあります。そのため、朝に絵にすることもあります。
考える時間には、やや偏った考え方の本を読んだり、ミーハーでくだらない記事を読んだり、なるべく俗な世界の物事の中に身を置きながら、その世界で影を潜めてしまっている深い問題を掘り下げてみています。俗な世界の物事とは、たくさんの人が見慣れすぎて逆に意識されることのなくなっているものです。それらは生まれた時から常識として私たちになじんでいるからか、私たちが考えることをやめてしまっていることが多く、それを可視化させて本当の姿を見ることを誘発出来るようなイメージを探し出すことに時間を割いています。
作品の制作手順や方法などを教えてください。
基本的に下書きなどはせず、ペンでおもったままに描いたり文字をいれたりして、面白かったら絵の具ものせてみる。さらに、これを印刷物として何枚も刷ったら本当に無意味だなというものをあえてシルクスクリーンの版画にして説得力のあるものに変えてみる。という流れで制作をしています。
多くの版種のなかでシルクスクリーンを選んだのは、刷る際の、穴から支持体にインクを刷り落とすという過程が、私の願いを乗せて外に絞り出すという感覚と近いと感じているからです。
頭の中で考えていることが素直に下に落ちていく感覚と、孔版ゆえにインクの物質感が強く、妙な説得力が生まれてしまう面白さも気に入っています。
版画をやっている友人たちとよく話すのですが、版画は自分の中で育ったものを出すときに一つのフィルターのように機能し、私たちが想像もしなかったような変化を生むことがあります。私たちは物事を全て理解して説明できるような気がしているけれど、それは必ずしも正解ではありません。版と支持体が起こすハプニングは、私たちが考えつかないような価値観に出会った時のように、何かを気づかせてくれることもあります。
現在、力を入れて取り組んでいること
イメージを作品に起こす時、なるべく私の国籍、性別が見えないようにしています。作家の独自の価値観が作品の背景にあるとしても、その人物がどこかに属してしまうと、どうしてもそれに対する印象が作品を見るときに影響してしまうと思うからです。それが見えなくなることで、鑑賞者は描かれた価値観のみを見極め、議論することを要されます。英語を使うのも、なるべく多くの人に議論してもらうためですが、日本人は英語との心の距離が結構開いているので、直訳のような日本語のキャプションもつけています。私の作品の場合、イメージの状況を簡単に理解できることが重要です。絵画だと避けてしまいがちな説明のプロセスですが、私の作品は絵画というより図のようなものなので、理解されないと意味がありません。どうすれば自分が考えているものや感覚を違和感なく見せることができるのか、その方法をさがすのが今の大きな課題、取り組んでいることです。
将来の夢、みんなに言いたいこと
将来というより、作品をつくるごとに自分をアップデートしていきたいと思っています。なるべく多くのことを理解し、作品も時代に合わせて変化させていきたいです。
今世の中ではSNSなどで自分と違う考え方への理不尽な攻撃がよく見られると思っています。これは正しい、あれは間違い、または、こっちが偉くてあっちは劣っている。差別的な言葉、人を傷つける可能性がある写真、一方的な決めつけ。それらにうんざりすることは多いのですが、私たちはとんでもなくよく出来た大きな脳みそを持っていて、立ち止まって考えることができる生き物です。好き、嫌い、正解、不正解と線引きをし、攻撃し合う事は一番たやすいことですが、それが社会を分断し、さらなる攻撃を生んでしまう。こういうきれいごとこそ攻撃の対象になってしまうかもしれませんが、そういう社会を小さなうさんくさいやや笑える絵が巻き起こす平和な議論で、少しでも愛のあるあたたかいものに変えてたらと願っています。
埼玉県生まれ。
東京藝術大学 版画第一研究室 2018年卒。
人とその他の生き物の間にある妙な関係を嘘と事実を交えながら描き、安易にアーカイブ化することで、人間の常識の危うさについて考えています。
1993年 埼玉県生まれ
2012年 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻 入学
2015年 2人展「Filter practice」 東京・イエローハウス
2016年 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻 卒業
2016年 東京芸術大学大学院美術研究科 版画第一研究室 入学
2016年 「俵賞展」 東京芸大 版画廊・油画ギャラリー
2016年 石橋財団奨学金を受けポーランドにて滞在制作、展示
2017年 「ZURETA / INTERNATIONAL CONTEMPORARY PRINTED ART」展 東京芸大・陳列館
2017年 ’Shotai’ Exhibition アイルランド
2017年 「ZURETA / INTERNATIONAL CONTEMPORARY PRINTED ART」展 上海美術大学
2018年 「大きな脳みそによる悪意のない誤解-ペットと人間の関係からみる、愛について-」 東京芸大
2018年 「ZURETA / INTERNATIONAL CONTEMPORARY PRINTED ART」展
Galeria Medium / Medium Gallery, Bratislava(スロバキア)
NEON Gallery, Wroclaw(ポーランド)