三塚新司 Shinji Mitsuzuka |
ー小さいころから絵を描くのが好きでしたか?
ずっと絵を描いているタイプでした。すぐ没入してしまうので、絵を描き始めて気がつくとすっかり暗くなってしまっている。目が悪くなったのも近い距離で描くのが好きだったからだと思います。
ー美術の道に進むことになったきっかけは?
小学生の頃に先生が「いつか高く売れると思うから、お前の絵だけは先生が貰っていく」と持って帰ったり、教育委員会の方が視察の際に私が絵を描いている所を確認しに来たり、しかしそうなると逆にアマノジャクになってしまって、絵描きになんて絶対ならない。と思うようになりました。
だけど残念なことに、人と同じことを聞いたり、教わったり、経験したりしても、どこかズレて感じ取っているので、生きていきにくい。結局は高校卒業後に、冬はスキーパトロール。夏はライフガード。というような季節ごとの住み込みの仕事をしながら放浪するような生活をして、その後「やっぱり絵か、」という気持ちもあって、半年ほど予備校に通って、油絵の受験で芸大の先端芸術表現科に入りました。
油絵科では無く先端芸術表現科を選んだのは、そちらのほうが幅の広い勉強が出来ると思ったからです。
ー初めて作品を発表したのはいつ、どんなときですか?
2018年の公募展からになります。
大学を出てから気がついたのですが、何かを作るとなると、自分は結局いつも同じものを作ってきた。吸い込まれるような深い蒼。あるいは空の透けてゆく透明感。そういった青を作品にしようとする。それはもう病というか、取り憑かれている。
しかし大学では結局その青い作品を作るための技法が見つからなかった。それが卒業して10年ぐらい経って、ある時突然に「サーフボードの作り方だ。サーフボードの作り方で作れるんじゃ無いか、」と気がついたんです。
それで2015年に空き家になっている農家の納屋を借りて実験を始めました。3年間実験を続けて、発表が出来るようになったのが2018年からです。
(2015年から3年間、実験を続けた納屋)
ー制作する日はどのようなスケジュールで進めていますか?
自分の制作は、色を入れるのは一瞬ですが、その後の工程に時間が掛かります。削ったり磨いたりといった工程は、職人の仕事のように朝から夜まで淡々と作業を続けますが、色を入れるのはオリジナルの儀式をしているような感じです。
何日も前から用意をして、集中出来る日が来てから色を入れてます。だいたい午前中に色を入れて、その後は全く別のことをするようにしています。どうも色入れの後は他の作業が手に付きにくいように感じます。
今は工房の隣に中古のキャンピングトレーラーを置いて、色入れの前後はそこに寝泊まりしながら制作しています。
ー作品の制作手順や方法などを教えてください。
サーフボードを作る工程に近いのですが、作品の基材になるのはウレタンフォームです。
切って形を整えたウレタンフォームに、エスキースから選んだ色と絵柄を目指して、樹脂を流しかけます。この樹脂は化学反応で固まるので長くても20分ぐらいしか触ることが出来ません。
翌日、納得の出来る絵柄になったものだけを次の工程に進ませます。透明な樹脂でコーティングをして、また翌日裏面を作り、さらに翌日フラットになるように削り、UVカットの樹脂でまたコーティングをして、何日か硬化させてから最後に削りと磨きの作業をして完成となります。
たいていは一回でフラットにならなかったり、気泡が見つかったりで、何度か樹脂を入れて削る工程を繰り返します。そのため制作には2週間ほど時間が掛かります。
小型の作品は一度に3〜6個前後の色入れをするのですが、大型の作品は1つだけに集中して制作をします。
ー現在、力を入れて取り組んでいること
純粋に作りたいから作る。という気持ちと、勝手な使命を自分の中に持って作ろうとする部分とがあって、その間を行き来しながら制作をしています。ただどちらにしろ、自分の描く線が、自分が意識する以前から受けてきた文化や美術史からの影響の中で、自分が何を見て来たから、この線にしようとしているのか、特に東洋思想からの影響や、日本における水や波の表現の系譜など、もっと自分の位置も含めて整理する必要があると感じています。
あと、サーフィンに行ける日を増やさないと、何かいろいろバランスが悪い。
ー将来の夢はありますか?
この材料・技法としての面だけで言えば、いつか、とんでもない作品が出来るんじゃ無いか、という期待を持っています。「これ人間が作ったの?」という作品。それが作れるかも知れない材料・技法では無いかと、、樹脂やウレタンフォームで同じ作り方をする人が居ないので、日々実験を繰り返している感じですが、自分の試すことが上手くいった時、そういう作品に近づいていると感じられる時は嬉しいですね。
いつか「もうこれで辞めだ!」と思えるぐらい納得の出来る作品を作りたいです。出来ても辞めないでしょうけど、、しばらく腑抜けになるぐらい納得の出来るモノが作りたいです。
三塚新司 Shinji Mitsuzuka |
1974年生まれ。高校卒業後、スキーパトロール、ライフガード、メッセンジャーなどの職を経て、1999年東京芸術大学先端芸術表現科に油絵科受験にて入学。
在学中より子供番組の放送作家として映像関係の仕事に関わる。
その後、雑誌編集者、テレビ局ディレクターを経て、2016年に千葉県鴨川市に工房を設け、サーフボード制作技法を応用した作品制作を始める。
受賞歴
2018年 池袋アートギャザリング IAG AWARDS 2018 準IAG賞 受賞
2018年 Independent Tokyo 2018 審査員特別賞 受賞
2019年 スパイラル SICF20
2020年 UNKNOWN ASIA 2020 審査員賞 受賞
2021年 神奈川県美術展 県議会議長賞 受賞
2021年 スパイラル SICF22
2022年 岡本太郎現代芸術賞展 岡本敏子賞 オーディエンス受賞
資本のルールの中に取り込まれた理性が、グローバリズムによる構造変化、複雑化した社会問題、デジタルイノベーションによる情報過多という状況を作り出し、私たちが依拠しなければならない筈の社会共同体という足場を狭めているのではないか…。
もしかすると社会は、私たちの置かれたその状況に対する「疑問」を認知させにくいように、より狡猾にデザインされ続けているのではないか、そして共同体を構成する私たちもまた、日常という概念の奥深くへ、「疑問」を 隠滅し、秘匿する共犯関係にあるのではないか、私はその疑いを「疑問の 疑問」、「META 疑問」と呼んでいる。私はそのような「疑問」を元に作品を作っている。
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Statement(2018年)
DELIRIUM(デリリウム)=譫妄(せんもう)
幻覚妄想を伴った意識混濁の状態。
私の作る作品はサーフボードの制作技法を元にした平面作品です。私はその作品シリーズをDELIRIUMと名付けています。
現代のサーフボードは1960年代から70年代にかけてアメリカ西海岸を中心に開発されました。多くの技術革新が同時期に起こり、サーフボードはより軽く、扱い易く、スピードの出るものへと改良され、カラーリングの面ではサイケデリック・ロックのレコードジャケットや、カウンターカルチャーの精神性の影響を受けながら、サーファーの個性を彩ってきました。
DELIRIUMはこのカラーリングの技法を抜き出し応用したものです。60年代のカウンターカルチャーは音楽やファッションの市場の中で、流通する商品を通じて社会批判の精神を広めてきました。それは西洋的価値観を最大限に反映させたアメリカ型社会システムに対する調整を求めた運動でした。その中で一部のグループは西洋思想を相対化する為の外からの視座を求め、東洋思想を発見しました。
極端な切り分けをすれば「個々人が幸福の最大化を目指すべき。」とした西洋思想に対し、「社会全体の幸福が達成されなければ個人の幸福も真に達成されることはない。」としたものが東洋思想であると私は考えます。
かつては、「世代を追うごとに社会はより良くなってゆく」という幻想、あるいは実感によって社会は統合されていた筈ですが、アメリカ型社会システムがグローバル化と名を変えて世界の全てを覆ってしまって以降、そのような統合はもはや失われたと感じています。
私は、アメリカを象徴するマテリアルでもあるプラスチック樹脂によって、サイケデリックなイメージの中に東洋思想の線を描き出したいと考え、DELIRIUMを制作しています。