タグボート取り扱いアーティストの皆さんに、インタビューに答えていただきました。
作品制作にまつわるあれこれや、普段は聞けないようなお話などが満載です。
毎週更新していきますので、ぜひぜひご覧ください!
今中信一 作品販売ページはこちら
小さいころから絵を描くことが好きでしたか?
かなり小さい頃は無条件で好きだったと思います。70年代の戦隊モノテレビアニメ風のキャラクターを自分なりにアレンジして描いた絵が今でも残っています。ただ、絵を描くだけではなく、外でもよく遊んでいました。高校生の時には興味の対象が、デザインやファッション、イラスト、アート、映画などに広がっていきました。
子供の頃の絵
美術の道に進むことになったキッカケは?
1985年に渡米してリベラルアーツの大学に留学しましたが、その後、1987年にシカゴ美術館附属の美術大学に転入学した時が本格的にアートを学ぶキッカケになりました。元々は映画に興味があり、一年間ほどは映像やビデオアートのクラスを集中的に履修していましたが、後に、大学が力を入れているのはいわゆるハリウッド系の商業映画ではなく、実験映画や映像アートという事に気づき、次第に興味が薄れていきました。映画監督には絵を描く人が多いのを知り、すぐに初級者向けの油彩画コースを取ってみました。思った以上に楽しく、先生方にも褒められたので(アメリカ人の先生は褒め上手なので)、すっかり自分もその気になって、21歳の頃に自分は画家として生きていくのだとぼんやりと自覚した記憶が今でも残っています。今では、創作活動は自分にとって必要不可欠な生活の一部分であり、また、衝動的で「自己治癒」的な側面もあるので、この先も模索していくのだと感じています。
初めて作品を発表したのはいつ、どんなとき?
1990年の大学の卒業制作展が最初の発表です。友人に仮装させてふざけて撮った写真を元に制作したポートレートと虚構の中間のような油彩画を一点だけ展示しました。
制作する日はどのようなスケジュールで進めていますか?
家にいる時は、基本的にはほぼ毎日、制作するしないに拘わらずアトリエで数時間を過ごしています。イラストの仕事をしたり、ドローイングをしたり、制作中の作品を眺めたり、本を読んだり、ボーッとしたり、音楽を聴いたり、いっしょに歌ったり笑。
作品の制作手順を教えてください
アート作品の制作の時は、テーマやモチーフがある時もありますが、基本的にプランはせずに即興的に筆を入れてカタチや物語の破片みたいなものを手掛かりにイメージを膨らましていくことが多いので、突然作業を始めます。そして、その作品は数十分程度で完成する時もあれば、数ヶ月かかる時もあります。ネタが活きの良いうちに握って食べてしまう江戸前寿司と、じっくり煮込むなり熟成させたりする必要のある料理の違いみたいな感じでしょうか。
現在、力を入れて取り組んでいること
つい最近まではあまり大きな作品を制作したことがなかったので、大きな作品の制作に取り組んでいます。一歩でも前進しながら、まず自分が「描いてよかった」と思えるようなオリジナルな作品を作ってみたいと思います。
将来の夢、みんなに言いたいこと
まず自分を満足させるようなオリジナルな作品が作りたいとは言え、やはりその作品を心待ちにする観客がいるような画家になりたいと思っています。
「2017年の日本の美術品市場規模は2,437億円」というデータが文化庁の『アート市場の活性化に向けて』という資料に掲載されていました。「世界のアート市場は637億ドル(1ドル=106円換算で約6.75兆円)」とも。つまり、世界における日本のアート市場のシェアは約3.6%だと。この日本の美術品の中にはモダンアートや工芸品も含まれているので、現代アートはもっと少ないように思います。また、別の資料『The Art Market 2018 / An Art Basel & UBS Report』には、アジアのアート市場は23%で、その内、中国が21%なので、残りの2%のシェアを日本、韓国、インド、インドネシアを含むその他のアジア諸国が構成しているとあります。おそらく実質的には日本の現代美術市場は1%にも満たないのではないかと思っています。私のもうひとつの夢は、どんどん世界のアートフェアに出展したり、国内だけでなく海外でも展開する日本のアーティストやアートディーラーがもっと増えていき、世界での存在感を獲得し、また、国内アート市場も成熟して活気がある、そんな未来が近い将来実現することです。
ステートメント
多元的でとても複雑な仕組みを持つ世界において未知の光景に出あう冒険のように、また、目的地への到着よりも移動そのものが楽しい旅行のように、日常の中の出来事や記憶、潜在意識や無意識の領域からパーソナルな神話の断片を探しながら、また偶然に見つけながら絵を描いています。
絵のイメージが鑑賞者の想像力を刺激し彼らの日常と混ざり合い、時には侵食し、自由に解釈され新しい独自の物語が生まれ、個人の記憶へと昇華すればいいなと思っています。
曖昧さや謎はそのままに、安易な答えよりはむしろたくさんの意味や雑多な疑問に溢れているようなイメージを目指して、絶えず物語を想起するような世界を作っています。また、視覚的な遊びという絵画の側面も忘れないように心掛けています。
それぞれの絵は単独で自律的に存在していますが、また、モチーフや文脈の異なる作品を並列することで、イメージの連鎖によって新しい物語や意味が生まれます。一人一人が独自の個性を持ちつつも、グループになると関連性が新しい価値を生み出します。社会や組織や森や生態系のように。
80年代の終わり、シカゴの美大生だった頃、当時の現代美術の影響(主に新表現主義やトランスアヴァンギャルディア)に加えて、自分のアイデンティティーをしっかりと保つために、自分の文化的背景や日本的モチーフを意識しながら制作したこともありました
ただ、今のところは、自分の文化的背景や属性に過剰に囚われない中で作品を制作したいと思っています。むしろ、長い歴史の中で世界各地の様々な文化から影響を受け、また合流する中で独自性を獲得するに至ったあらゆる文化の創造の過程を意識し、そのダイナミクスに憧れながら制作しています。
1966年 兵庫県生まれ。
1985年 渡米。
1990年 シカゴ美術館付属美術大学卒業。
2000年 イラストレーターとしての活動を開始、現在に至る。
[主な個展]2015年 ギャラリー301(兵庫県・神戸市)
2012年 ギャラリー301(兵庫県・神戸市)
2011年 ギャラリー301(兵庫県・神戸市)
2005年 Lovelies’ Lab(東京)
2000年 Salon 211 C.A.P. (兵庫県・神戸市)[主なグループ展]2014年 Fountain Art Fair(N.Y., U.S.A.)
2012年 ギャラリー301(兵庫県・神戸市)
2011年 Sarus Living(中国・北京)
2011年 アートホール神戸(神戸)
2009年 ギャラリー・ダズル(東京)
2008年 ギャラリーやさしい予感(東京)
2007年 オーパ・ギャラリー(東京)
2001年 プエルトリコ美術館(プエルトリコ)
2000年 国際交流基金フォーラム(東京)
2000年 Nan. O. Bacterium(東京)
1999年 アジア・オセアニア研究センター(キューバ)※
1999年 フジタ・ヴァンテ・ミュージアム(東京)※
1998年 大阪国際交流センター(大阪)※
1997年 ウクライナ芸術アカデミー(ウクライナ)※
1997年 京都造形芸術大学・ギャラリーRAKU(京都)※
1997年 フジタ・ヴァンテ・ミュージアム(東京)※
1995年 ’95 NICAF 国際コンテンポラリーアートフェア(横浜)
1994年 フォーラム横浜
1994年 市立ブダペストギャラリー(ハンガリー)※
1993年 ローマ日本文化会館(イタリア)※
1993年 東北芸術工科大学(山形)※
1993年 伊勢丹美術館(東京)※
(※印は国際芸術文化振興会主催・日本ビジュアル・アート展巡回展)