ホリグチシンゴは、厚紙で実際に作った模型やドローイングを組み合わせ、実空間に小さなインスタレーションを創り出します。創り出した空間は写真としてデータ化し、空間のアウトラインや模様を抽出することで下図を作り、作品を制作していきます。
彼が行うこのプロセスは、自身が手で線や色を加えることによって画面に手触りを与え、目で見たときや写真で撮影したときとは異なる要素を生み出します。空間をカメラで撮影して抜き取った無機質なデータから、彼自身も予測できない作品を作り上げているのです。
12月28日(火)よりtagboatにて個展を開催するホリグチさんに、これまでの制作とアーティストとしての目標についてお伺いしました。
インタビュー・テキスト= 寺内奈乃
ーホリグチさんはこれまで具象画、抽象画、写真など様々な技法で制作しています。
主に制作しているシリーズは、立体のブロックを厚紙で作るところから始まります。ブロックを積み重ねたり自由に配置したものを、撮影して、それをトレースして描いています。
自分の制作は一貫して制作工程がレイヤー状に独立していて、それぞれのレイヤーには自分がコントロールしきれない部分を残しています。
ーそれは何故でしょうか?
一番大きい理由は、作品のその状態が良いか悪いか、主観から距離を取りながら判断して作品を作ることが出来るからです。コントロールできない部分があれば、それが言わば「現象」のようなものになり、そこは自分から切り離された領域になるので。制作において自分が全てコントロールできる状態だと、全部自分で責任を持たないといけなくなる気がするんです。
ー偶然性を重視した作品作りを目指しているということでしょうか?
完全に偶然性に任せきりで、作品が自然現象みたいなものになってしまっても面白くないんです。
最終的には「現象」と「作為」をミルフィーユ状に積み重ねることで、自分の表現にしたいなと。
自分にとって作品を「作る」ことは何かと考えたときに、色んな技法を試していてもこういう方法論になることが多いです。
ー制作工程の中では、具体的にどういった部分が「作為」と「現象」にあたるでしょうか?
たとえば、ブロックを積み上げる作業は「作為」です。でも、積み上げたブロックが倒れないバランスを保っている形は「現象」です。CADや3Dソフトを使ってパソコンの中で形を作ることもできますが、そうすると物理現象に囚われない造形ができてしまいます。実際にブロックを作ることで、重みで少しつぶれた形とか、倒れないギリギリのバランスを保つ形とか、物理現象を介した意図しない結果が得られます。更にそれを写真で撮影する時に、形としてどこから撮ると綺麗か、どの目線にするか決めるので、また「作為」が入ってきます。
トーテムジャンクション/2021年制作/1620×1303mm /キャンバス、膠、乾性油、顔料
ー作品のためのブロックは毎回新しく作っていますか?
新しく作ることもありますが、基本的には作ったものはどんどん溜まっていくので、同じブロックを使うこともあります。適当に組み合わせ、積み上げて、いい形になったから描く、というときもあります。
色はPhotoshopにデータを編集する段階で決めていくので、それは「作為」ですね。
最近編み出した方法ですが、Photoshopに画面上の色を全てランダムに変更する機能があるので、それで一旦カラーバランスをぐちゃぐちゃにするという、デジタル上での「現象」も取り入れるようになりました。
ーブロックの外側の柄は最初から描いているのですか?
厚紙にドローイングを貼り付けています。それを切り出してブロックを作るので、どこにどの柄が入るかもあまりコントロールされていません。作品の背景部分も、画材を遊ばせることを意識して「現象」を見せるつもりで描いていました。
日本画の画材は油彩と違って水で簡単に洗い流せるので、風化したような表現が得意です。「現象」的な雰囲気が作りやすいので、スクラッチしたり削ったり、マチエールでは色々遊んでいました。ですが最近は画面の中のそういう要素もコントロールしたいという気持ちが強くなってきましたね。
イエロースニッパー/2021年制作/1000×803mm/キャンバス、膠、乾性油、顔料
ー大学進学時に、日本画専攻を選んだ理由は何でしょうか?
実は、具体的に日本画専攻で何をするのかあまり知らずに入りました。
日本画専攻の場合は基本的には皆そうだと思いますが、大学に入学してから初めて画材の使い方を教えてもらうことになります。入試もアクリル画や水彩画ですし、普通、高校までは日本画の画材を触る機会はありません。
僕は関西出身なので、とりあえず東京の美大に入りたいと思い大学の入試ガイドを色々見て、多摩美の日本画が一番入りやすそう、という理由で第一志望に選びました。
あとは、好きな漫画家さんで多摩美出身の方が多かったという理由も大きいです。五十嵐大介さんとか、沙村広明さん、ウエダハジメさんも多摩美出身です。しりあがり寿さんもそうですね。サブカルっぽさを感じさせる人達が当時から好きでした。
ー偶然選ばれた進路ですが、その後も日本画の画材をずっと使い続けていますね。
そうですね。結果的には日本画材は自分に合っていたと思います。
僕の「制作プロセスをレイヤー状に分ける」という考え方は、日本画の基本的な制作方法に則った方法なのかもしれないと最近思っていて。
古典的に日本画を描く場合、モチーフをそれぞれスケッチして、組み合わせて下図を作ります。その後、本画に下図を転写して、骨描きという墨でアウトラインを描く作業をし、着彩します。このように、そもそも日本画の制作過程はレイヤー状になっていて、僕の制作プロセスは、日本画の画材を扱う上での基本を改造したものなのかも、と。
ー意外ですが、ベースにあるのは日本画の正当な描き方なのですね。
いわゆる伝統的な「日本画」を描いているとは自分では思っていませんが、やはり日本画専攻に在籍していた影響はあると思うようになりました。
もし美大入学時点で油絵を選んでいたら違うやり方になっていたでしょうし、もしかしたら絵を続けていなかったかもしれません。
ー多摩美術大学では、日本画の伝統を重んじた指導が中心でしたか?
いえ、多摩美の場合、日本画材の扱い方は教えてもらえますが、基本的に放任主義でした。
講評でも、日本画としてどうというより、絵画として良いかどうかという視点で見る先生が多かったです。日本画から現代アートに行く人も普通にいましたね。
日本画専攻に限らず、学校全体としてそういう雰囲気を感じました。
ーいつ頃から今の作風が生まれましたか?
学部の卒制までは今と全く違う作品を描いていました。もっと暗い絵が多かったですよ。豚が死んでいる絵とか、鹿が海岸で爆発している絵とか(笑)クリスマスイブに豚をスケッチしに行って描いた思い出があります。豚には自分を投影していて、かなり内面の闇が出ていましたね。
Abandoned/2015年制作/1620×1620mm/パネル、膠、銀箔、顔料
でも大学院に入ってからは、作風が全く変わりました。
学部の卒業制作で、内面を吐露するような重い作品を描いたこともあり、精神的に限界を感じていました。自分が表現したいことを出し切って、全部解消してしまった感じがしたんです。大学院に入った時、描くべきものがわからなくなりました。
そのとき、ドット柄の布を描くというのをやってみました。何も描けなくても「ドットなら描けるな」と思って。ドット柄の布を写真に撮って、柄をひたすら描き写すという作品だったんですが、単純な作業の集合によって、絵画的な奥行きが出来るのが面白いなと思いました。
でも今井俊介さんが先に同じことをやっていたことを知って、じゃあもう少し別の方向に展開させなきゃと、自分で柄を描いたり立体を作ったりと実験しているうちに今の方法に発展していきました。
窓 /2018年制作/410×318mm/キャンバス、膠、乾性油、顔料
ー好きなアーティストはいますか?
今思いつくのだとロイ・リキテンスタイン、シグマーポルケ、デヴィッドホックニーあたりがすごく好きです。あとはゲルハルト・リヒターに一番影響を受けましたね。
油絵専攻を目指して美大受験をする人は、リヒターとか予備校時代にさんざん見ていると思いますが、僕は、学部3年生くらいのときに改めて作品を見て、衝撃を受けて。そこからコンテンポラリーなペインティングに興味を持つようになりました。
-今度のタグボートでの個展タイトルは何でしょうか?
「The Field and Daylight 3.2」です。
10月に西荻窪の数寄和で開催した個展が「3.0」だったので、「3.2」にしました。
コーラルキャッスル /2021年制作/1820×1464mm/キャンバス、膠、乾性油、顔料
ー少しバージョンアップしているんですね。
まだ「4.0」までは行っていないけど、着実に変化があった、という感覚なので。
ー最初にこのタイトルが登場したのは、2012年のガレリア青猫での個展「The Field and Daylight」ですね。
「Field」は「空間、領域」という意味で、「Daylight」は「日光、日中」という意味のほかに「狭間」という意味もあります。
これは本当にパッと思い浮かびました。自分の表現したいものを捉えていると思います。
初個展の時から自分の制作はずっと地続きだと思っているので、「何か更新するぞ」とか「次のステージに進めるぞ」というタイミングのときはこのタイトルを使っています。
昨年描いていた抽象画など、実験的な作品や新しい要素を入れて展示するときは別のタイトルを付けています。
ー2018年の羅針盤での個展「The Field and Daylight 2.0」での展示作品は、かなり今の作風が確立されています。
この頃は大学院を出たての頃でした。
それまで作家になろうとは思っていなかったのですが、大学に在籍して6年目の冬に、いきなり「今のやり方でいくらでも描けるな」と思えるようになりました。
羅針盤での個展のときはそのテンションが現れていました。この頃は「自分の中の人格が作家になっていく」感じがしていましたね。
ー2018年のタグボートでの個展タイトルは「Drone’s eye(half a person)」でした。機械(ドローン)の目、だけど半分は人間、というタイトルはホリグチさんの制作態度を言い表しているように感じます。
それと近いタイトルで、亀戸アートセンターでの「BEAST/HUMAN/MACHINE」も面白いタイトルですよね。獣と人間と機械を並列しています。
現代は「人間」の反対は「機械」や「AI」と捉えられていると思います。でも、近代化する以前は「人間」の反対は「動物」「野獣」だったんです。時代とともに「人間」の対照的な存在は移り変わっていったと言われています。
自分の制作に照らし合わせて考えると、プログラムを組んで機械的に実行していく部分と、動物的な感覚で手を動かしていく部分があります。その折衷が、自分の生きている時代が持つ感覚のリアリティに繋がっていくんじゃないかって感覚があって。
メディテーションルーム/2019年制作/1620x 1303 mm/キャンバス、膠、乾性油、顔料
ー制作プロセスの中で、「人間」ではなく「野生」の領域と感じている部分について、もう少し詳しく教えてください。
ドローイング的な線を描いている時「なんとなく心地良い」と感じるんですが、それは動物的な感覚だと感じます。電話しながら描く落書きとあまり変わりませんよね。
たとえば、動物界には青い物を集める習性を持つ鳥がいるそうです。青い物を集めた巣を作って、雄が雌にアプローチするんですけど、その巣がイケてると番になれるらしいんですよね。そういう限りなくプリミティブな感覚とあまり変わらない気がしています。
「機械」と「動物」、その狭間に「人間」がいると思うんです。
僕は、芸術は人間が成したものだと思っています。機械でもなく動物でもなく、人間が故意に行った事が、芸術になるので。そういった意味では、自分がやっていることは厳密には「芸術」では無いのかもしれないと思います。
本来「人間」がやる芸術の外側、「機械」と「動物」の間を行ったり来たりすることで、作品のようなものが出来るけど、厳密には芸術とは言えないのではないかと思ってしまうんです。
美術館に行ってピカソやデュシャンの作品を見ると、作品から明確に「人間」を感じます。美術史の中で残ってきた作品は「人間」をやろうとしているんです。極めて人間的な作為があるというか…。自分の場合は「人間」が中心に来ないというか、機械的な反復と、動物的な判断を繰り返しているだけです。このやり方を深めて更新していくことで、もっと複雑な構造を作りたいという欲望があって、それは人間的かもしれないけど…。
ーなぜこのプロセスで制作を続けていると思いますか?
自分には「描きたい絵」はあるけど、「表現したいもの」がありません。
「作品を作りたい」というときに、ゴールが自分の中に無いので、行き方も分からない。
でもプロセスが決まっていればとにかく進めますから、どこか分からないけどゴールに辿り着くことはできます。
ーとにかく「絵を描きたい」という思いだけがあるんですね。
もっといい物を作りたいという気持ちは明確にあるんですよね。僕の作品における「アップデート」は、より遠くに行くという意味です。単純な偶然性に任せると、意外と近くにしか行けないなあと。
機械的にでもプロセスを繰り返していれば、こうすれば遠くに行けるというやり方はどんどん更新されていきますから、だんだんと遠くに行けるようになっている感覚はあります。とにかく移動し続けて、最終的には誰も作ったことが無いものを作りたいんです。それが僕のモチベーションですね。
ー昨年、抽象画を描き始めたのは何がきっかけだったのですか?
コロナ禍で発表の機会が無くなったので、実験的なことをしてみたいと思ったのがきっかけです。
以前から思っていたのですが、日本画の画材である岩絵の具を一番綺麗に発色させる方法って、接着剤を先に塗って上から振りかける、というやり方だと思っていたので。
それと海外のアーティストの抽象画を見ていると、岩絵の具のような洗い粒子の絵具を使っているのをあまり見たことが無いので、この技法はブルーオーシャンなんじゃないかと思って。今思うと結構打算的な考えですね…。
ピンクモーメント/ 2020年制作/2273×2273mm/キャンバス、水性アルキド樹脂、顔料
ー作品におけるイメージの源泉はあるでしょうか?
自分の場合はとても大事なことなのですが、特定の誰かアーティストというよりは、高校生の頃から使っていたTumblrの影響が大きいです。Instagramの少し前に流行っていた、画像を共有できるSNSです。自分の好きな写真や画像をひたすら集めるのにはまっていました。幅広いジャンルの画像が共有されていたので、琴線に触れたものを何でも集めて「冷たい感じ」「ノイジ―」「ちょっと笑える」とか自由に分類してどんどん溜めていました。
その中には美術作品の画像もありましたが、あくまでもそういうものが先に「画像」として自分の中に入ってくる、というのは世代的に大きな要素だと思います。実物を見る前に、まず画像の情報として蓄積されるという体験によって自分の価値観は作られていますね。
ー作品の中に、家のような形や街並みに見える物体の並びが出てくることがあります。モチーフの形にはどんな意味をもたせているのでしょうか?
「家」って単純で記号的な意味がある形ですよね。絵画的にも、ただの箱形から面の数が増えるので複雑に見えますし、家の形自体が矢印みたいにも見えるので、絵の中でベクトルを発生させる効果があります。そういった理由で、絵の中で展開させやすいので入れてみました。
街並みに見えることを狙って「家っぽい」形状を並べて作っている作品もあります。2年前の個展「Vapor under the city」は、街を意識した作品を制作しました。
コモンセンス&ホームタウン/2019年制作/1900×1900mm/杉板、ポプラ材、膠、顔料、ポプラ材
ー近年「Liminal Space」というインターネットミームが出てきました。もとは空間と空間をつなぐ通路のことを差す言葉だったそうですが、現在は、一見用途がわからない部屋や、人気がない空虚な空間の画像が「Liminal Space」として、よくネット上で見られるようになりました。
ホリグチさんの作品で表現されている空間も、意味や目的のない空間であるように感じさせますが、意識されているところはあるでしょうか?
「Liminal Space」は知りませんでしたが、僕も意味の無い空間やトマソンみたいなのが好きです。特に目的の無い空間って誰の事も拒まない感じがして、そこが精神的な防空壕のように感じます。
ーホリグチさんの作品も、何者にもおびやかされない空間を感じさせます。
僕自身もそうですが、今の人って、精神的防空壕のようなものを求めているような気がしています。謎めいた空間とか、架空の虚無を感じる画像を求める時代の感覚というのは、自分もよくわかります。世界がどこかで崩壊に向かっている感じがあるので、精神の世界だけでも一時的にどこかに逃れたいのかもしれません。
ー世界崩壊の象徴ともいえるコロナ禍を経て、何か変化はありましたか?
今、僕は多摩美術大学で助手の仕事をしているのですが、去年は半年ほど学校が完全にクローズしていたので、学生が学校に来られなくなりました。そうすると「学校」って何?ということになりますよね。僕としても「教育」について当事者にならずにはいられませんでした。
最初は画材を1人分ずつ梱包して学生の家に送るところから始まりましたね。ひとつずつ何をすべきなのか、能動的に考えないといけなくなってしまって。
―美大では手を動かすことに意味がありますからね。
デジタル日本画ができないか本気で考えたこともありました。JPGの解像度落としたら岩絵の具のサラサラが再現できるんじゃないか、とか。
ー制作に影響はありましたか?
制作に直接影響があったかといえば、そんなに無かったかとは思います。
逆に時間の余裕はできたので、制作については一度リセットして、絵具をばらまくという新しい技法を実験したりしていました。
考えすぎるとどんどん自分の内面に向かって行ってしまうので、とにかくそれは回避しようと思ったこともあり、新しい技法に挑戦していたような気がします。
辛いことに向き合うより、普段は淡々と自分ができることを自然とアップデートしようとしているので、制作についてのストレスはあまり無いですね。
自分の制作は農作業と変わらないと思っています。毎日、土耕して、種まいて、水やって、という。
ナイトホークス/2021年制作/283×420mm/楮紙、膠、顔料、銀箔、サイアノタイプ
ー制作について、身近な人からの影響はありますか?
プログラマーの兄がいます。とにかく何事もプログラム的に理解しようとする人で、物事をどうすれば合理的に捉えられるか常に考えているようなタイプだったんですけど、兄の考え方の影響はかなり大きいと思います。とは言っても僕はプログラムを書けるわけではありませんし、どっちかというと感覚人間なので、プログラマー的な思考と、どっちつかずの感じが作品に出てるような気もします。
ー高校まで京都・奈良という関西の土地に住み、大学進学時に東京に場所を移していますが、制作に土地の影響は感じますか?
京都という土地の影響はあると思います。実は京都が嫌いで東京に出てきたのですが、今は良いなと思うようになりました。東京の場合はどんどん新しいものができて、前あったものを潰して、町全体がどんどん複雑になってしまいます。一方で碁盤の目の土台上で中身だけ入れ替わっていって大きな枠組みがずっと維持されている京都って実はデジタルな場所なんじゃないかと。閉じた盆地の中でひたすらレイヤーだけがどんどん更新されていって、歴史がずっと積み重なっていくというか。その感じって自分のやりたいことに近い気がするんですよね。
ー作品の街並みも碁盤の目になっているのが見受けられますが、構造自体が似ているんですね。
また、京都は景観条例によって歴史的な建造物が守られており、全体として穏やかな色合いです。ホリグチさんの作品にも通ずるところがあると思うのですが、ご自身ではどのように感じますか。
色合いも影響があると思います。他のアーティストを見ても出身地ごとの土着的な色彩感覚ある気がするんですよ。フランスっぽい色使いとか、ドイツっぽい色使いってあるなあと。実際現地に行ってみるとそういう風に色が見えるって誰かが言ってたんですよね。
—最近ではビビッドな色合いで描かれることもありますね。
もともと、日本画の画材は油絵に比べて発色する色の幅が狭いです。
でも、去年はずっと抽象画を描いていたので、強い色を使うことにためらいが無くなりました。今年に入ってからは色の組み合わせの持つ可能性を感じています。
シーサイド/ 2021年制作/652×530mm/キャンバス、水性アルキド樹脂、顔料
ー制作を振り返って、心境の変化はありましたか?
大学院のころから作品を発表するようになり、最初の個展から4年目になりました。
当初よりは確実に、アーティストとしての自我が芽生えています。作品を買ってくださった方も増えましたし、それはアーティストとしてやりがいにつながっています。
ーアーティストとして、これからの目標は何がありますか?
もっと大きな空間で展示したいです。
先日DIC川村記念美術館に行ったのですが、ロバート・ラウシェンバーグの巨大な作品が展示してありました。作品からラウシェンバーグの楽しそうな感じが伝わってきました。大きなファクトリーでガンガン作品を作れるような作家になったら楽しいだろうな、次の目標はこれだな、と思いました。でっかい画面にシルクスクリーンでもペンティングでも、思いつくままに何でも制作できるようになりたいですね。
ーホリグチさんの制作方法も、プロセスがはっきりと分かれているので、ファクトリーで人を雇って分業することが向いていると言えますね。
一つ一つの作業自体は単純ですからね。人に手伝ってもらえるような制作のやり方を考えるというのは、実はここ4年間ずっと意識にあって。将来、例えば一ヶ月で300枚絵を描いてくださいという注文を受ける場面があるかもしれません。作業を人に任せることもできれば、そういった依頼にも対応できます。でも、やっぱり自分で制作するのが楽しいので、今は考えていませんが。
ー最後にお伺いします。タグボートでの個展「The Field and Daylight 3.2」はどのような展示になる予定でしょうか?
今回展示するのは、数寄和での個展「The Field and Daylight 3.0」開催の前後で描いた絵です。
3~4か月ほどの制作期間中に、作品は着実に変化していったので、短期間の時間軸での変遷をお見せできます。これから僕がどこに行こうとしているかが見える展示になりそうですよ。
ホリグチシンゴ Shingo Horiguchi |
ホリグチシンゴ「The Field and Daylight 3.2」