タグボート取り扱いアーティストの皆さんに、インタビューに答えていただきました。
アーティストになったきっかけ、作品制作方法、作品への想いなど、普段は聞けないようなお話が満載です。
毎週更新していきます。ぜひご覧ください!
小さいころから絵を描くのが好きでしたか?
2歳から4歳までイラクのバグダットに住んでいました。
戦時下だったこともあり、オモチャの入手が難しく一番の楽しみといえば、住商に務める父の持ち帰る膨大な量のテレックスの裏紙に絵を描きまくることでした。
踊りに関していえば、近所のアラビア人家族とホームパーティーをしたり、日本から出張で社員の方々を自宅で接待することも頻繁だった為、
即興ダンスを披露してみんなを盛り上げるのが大好きな少女でした。
帰国後は自由学園幼児生活団(幼稚園)にて伝書鳩を卵から育てたり、その体験を元に唄を作ったり絵を描いたり、表現する楽しさを育んでもらいました。
小学校時代はドバイに住み、ドバイ日本人学校では学校の先生と両親が同世代で仲良かった事もあり、一緒に砂漠ツアーに行ったりと濃密な関係でした。
愛情深い先生たちに伸び伸びと個性を育ててもらう最中、学校行事のパンフレット絵を任される事など大変誇らしかった事を覚えています。
飛行機に頻繁に乗る事もあり、機内でフライトアテンダントさんに描いた絵をプレゼントしたり、そうした人との関わりの中で絵を描き踊ることが大好きなまま育ちました。
アラビアに住む頃、遠く離れた日本は常に憧れの対象として新鮮でした。
日本のお土産をもらう側であった為、千代紙、浮世絵の美しい絵柄にほれぼれと感動し、図工の時間に模写していました。
そして日常を見渡せば、モスクのモザイクの美しさ、アラビア文字の流麗な美しさ、隠すことで沸き立つ神秘的な魅力というものに包まれて、
幼くも美意識のコントラストに度々感じ入っていました。
世界中にその土地ならではの「きもちいい」、「うつくしい」、「やさしいが」が在るのだな。。。という感覚を与えて貰い、両親に感謝しています。
帰国後、校則や先輩からの制約が厳しい中学校、個性的であることが悪目立ちする高校で、のびのびと自分らしさを発揮することが叶わず、暗黒時代に突入しました。
高校3年生の進路を決める際、自分らしさを解放できるのはやはり絵を描く事だ!と美大を志願、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科に進学しました。
美術の道に進むことになったきっかけは?
元々は一人で絵に没頭して描いているのが大好きだったのですが、段々と大好きで得意な「描く」ということで人と繋がって、
感覚を分かち合える「空間」や「時間」を創ることに喜びを感じ始めました。
武蔵美の学生の頃から学内外で何か面白い場と出逢いを求めてアンテナを張り、色んなイベントを企画したり参加していました。
その最中で様々な音楽家を始め、ダンサーや写真家など表現者たちと出逢い、様々なコラボレーションを実験的に行い作品発表を続けていました。
武蔵野美術大学卒業後、一度はアパレル会社に就職し勤務しました。仕事は楽しく張り切ってやっていたのですが
武蔵美時代の活動を見ていて下さったご縁で、入社1年半後に新宿BEAMS b-galleryでの個展を開催できる事となり勤務後寝る間を惜しんで制作に没頭しました。
有給を使って無事個展を完遂できた際に「本当にこのまま会社に居ていいの?こんなに表現好きならやったほうがいいよ!」という思いが自分の中に溢れ出し
会社を辞めアーティストとして生きることを決意しました。親は反対しましたが、何か揺るぎないものがありました。
初めて作品を発表したのはいつ、どんなときですか?
何とも奇跡的な話ですが、会社へ辞表を出した直後に一本の電話がかかり、武蔵美時代の活動を知って下さっていた方からのオファーで、
東芝EMIからデビューする林明日香さんという歌手のミュージックビデオとアルバムジャケットアートワークに大抜擢していただきました。(2002年)
これがアーティストとしての初仕事となり、作家として広く認知していただきました。
初めて彼女の生の歌声をスタジオで浴びた時に、圧倒的なエネルギーに感応して体と心が溢れかえって抑えきれなくなり、
全身を大きく踊らせながら無我夢中で大きな画面を一気に描くという体験をしました。
その場に満ちるVibrationを身体全部で感じ、踊り、描く”踊絵師”としての表現が発動するきっかけとなりました。
そこから現在に至るまで18年間
踊絵師のアートパフォーマンスを、照明、音楽、香、衣装、映像、建築、など多様な表現を巻き込み模索し続けてきました。
表現をする最中で巡り合った方々に様々なチャンスを与えて戴き、これまでに世界遺産/沖縄中城跡、岡山/吉備津彦神社に作品奉納する他、
台湾・上海・香港・アメリカ・スイス・フランス・カザフスタン・インド・ミャンマー・フィリピン、ハンガリーなど世界各地に招聘していただきました。
またNISSANカレンダーアートワーク、AlfaRomeoTVCM出演、Canon EOS 5D Mark III ムービー出演、VIVIENNETAM アートワーク、COMTESSEアートワーク、
Cartier展示会@東京国立博物館宝物殿出演など企業コラボレーションの機会に恵まれました。
制作する日はどのようなスケジュールで進めていますか?
子育てと連動して、日々出来ることをタイミング見て進めています。
踊絵師のアートパフォーマンスを創造する上で、会場、舞台設営、照明、音響、音楽家、衣装デザイナー、ヘアメイク、映像作家、写真作家など
多くの方々に制作に関わっていただく為、ほぼ毎日メールやメッセンジャーにて打ち合わせを行い、舞台本番へ向けて準備を進めてまいります。
実際に絵を描かせていただく現場を訪問し、土地のエネルギーを感じ、関わってくださるスタッフの皆様とコミュニケーションを丁寧に重ねて、
気持ちを一つに高めて行くことも大切な作品制作過程の一つです。
人がリアルに集まり、お互いの持てるエネルギーを持ち寄りあい、体験を共有すること、そのものが作品であると感じています。
衣装デザイナーと共に生地問屋に出向いて生地を選び、数回にわたりフィッティングを行い衣装を創り上げること、
裸足で踊描く床が安全か、強く叩きつけながら描画できるようキャンバスが頑丈に建て込まれているか、照明や音響が万全かを確認するなど
“舞台”を現実的に創り上げる段階では、私はむしろプロデューサー的な役割を担って制作進行してゆきます。
本番直前は、重ね合わせてきた皆とのエネルギーに突き動かされ深い集中に入ります
「 いってまいります 」
ピリっとした境界を超える感覚があり
我を離れ
踊絵師となります。
作品の制作手順や方法などを教えてください。
絵を描く最中は踊を通じて深いトランス状態に入ります。踊る最中に刻まれる絵具の軌跡そのものを尊重する為、事前にスケッチや下書きは行いません。
その瞬間に内にふくらむ感情を率直に現すことを
本能的に求めているのだと思います。
使用画材はアクリル絵の具が中心です。拳で叩いたり、爪で引っ掻いたり、手、腕、筆、刷毛などを使って踊る身体に委ねて描きます。
踊の最中に髪や衣装がキャンバスを擦り、その軌跡が作品となります。アクリルスプレーやオイルパステルを使用する事もあります。雑巾で拭き取ったり、水をかけたりもします。身体の瞬間の動きに連動できる画材を常に探しています。
アートパフォーマンス中は思考することを離れ
直感的に絵の具を手に掴みます。
手のひらに絵の具を直接出し描く事が多いのですが、
銀に触れる。赤に触れる。その冷んやりとした感触自体に色彩を感じているのだと思います。
終演後、はじめて離れた位置から絵を俯瞰し
肉体の喜び踊った軌跡や、色彩が自分の想像を超えた混ざり合いを遂げて、新しい美しさが産まれているのを観て感動します。
はたまた
アートパフォーマンスにて産まれてくれた
作品に、後日思うままに緻密に描き込みを加える事もあります。その時は非常に冷静に私自身として画面に向き合います。
踊絵師としてトランスに入り、忘我の状態で描いた軌跡に、私自身の個人的な記憶、思惑を重ねあわせた時に、何が起きるのか知りたくて模索中です。
裸の魂を、そっと絹で包む感じでしょうか。
現在、力を入れて取り組んでいること
2017年[ブレイク前夜]と[TOKYO ILLUSION]に取り上げて頂いた事をきっかけに
現代美術シーンにて発表する転機となりました。
美術史におけるAction Painting Movementのその先を踊絵師として開拓したいと取り組んでいます。
2019年12月にNYでの展示会[ Emeging Tokyo presented by Tagboat ]にてアートパフォーマンスを行い、描き上げた作品と共に、着用していた衣装もAction Painting作品の一部として展示発表しました。
衣装の絵の具の飛び散りは、その日のエネルギーの痕跡そのものであると捉えています。
踊を支える音楽も作品の重要な要素の一つです。
音楽制作も2019年から本格的に始動しました。
声の持つプリミティブな呪術的要素を求めて
音源制作しています。
また2018年より #テクノロジーと神秘[ 聖 域 ]というコンセプトを掲げ
VR/ARテクノロジーと協働し、人間が本来もつ本能・神秘感覚を覚醒することを目指した現代アートプロジェクトを始動しました
様々なジャンルの仲間に支えて戴きながら、メディアに囚われず可能性を模索しています。
2019年に京都造形大学特別講師として登壇させて戴きました
踊絵師の体験を元に、現代を生きる事を考察するトークショー・対談も積極的に行っていきたいと思います。
2020年2月末に西麻布にある[ nanatasu gallery ]にて ” LIGHT “をThemaとした個展を開催します。(詳細追っておしらせします)
作品を間近に感じていただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
将来の夢、みんなに言いたいこと
世界のアートシーンに踊絵師の表現を届ける事
特に私のルーツであるDUBAIでの個展を実現する事
テクノロジーが発達し
人間の存在が問われる時代にますます突入するからこそ、アーティストとして出来ることがあると思います
出逢った生身の人々と国籍・人種・性別・年齢を超え
悦びを分かち合う現場を創り続け
そこで交わされる ポジティブな光を 描き
作品として届けてゆきたいです
どんな闇にも かならず光が蘇ることを信じて
SAORI KANDA Art work for COMTESSE
ドイツのBAGブランド”コンテス”の90周年メインビジュアルを担当
新たなはじまりを告げる、新生の風を表現しました
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Art&Voice/ Artist Saori KandaMusic/ Tyme. / Tatsuya Yamada
Movie/ STOIC
Dress/ MEDAA,
HairMake/ Limo
COMTESSE Japan株式会社
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COMTESSE Bagにも ” Wind of New Birth “をコンセプトに描き染めしチャリティー販売が行われました。
売上は全額、沖縄県を通し首里城の再建へ寄付されます。
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Artperformance & Interview of SAORI KANDA
Directed & Edit by SHIORI SAITO
Camera by SANAE OHNO
NY,2019,Dec.
現代美術家 /踊絵師
SAORI KANDA
神田さおり
https://youtu.be/huQSh60i4gc ライブパフォーマンス
” 踊と破壊と創造と ”その瞬間のエネルギーに身を委ね、湧くままに踊り描くことで
人間の持つプリミティブな悦びの解放を表現しています
出逢った生身の人々と国籍・人種・性別・年齢を超え
悦びを分かち合い その光を 描いてゆく月がやさしく煌めくように
どんな闇にも かならず光が蘇ることを信じて
多謝
描幸
山口県徳山生まれ
自由学園幼児生活団
武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒
幼い頃、バグダッド(イラク)とドバイ(UAE)にて育ち
世界のうつくしさと共に日本への憧憬を強烈に体験する
世界中を旅しながら様々な土地や人々との出逢いに全身で感応し、
そのエネルギーを表現し続けるアートパフォーマンスでは、身体全部で音楽の波を感じとり
描いている肉体自ら絵の一部となり大画面を踊りながら描き上げる
生き物の様に変化し続ける画面は、描かれては壊されまた産まれ、自由奔放な命がほとばしり
その身体的表現は白髪一雄、ジャクソン・ポロックなどアクションペインティングの系譜と繋がる
照明、音楽、ダンス、香、衣装、ヘアメイク、舞台美術、等様々な表現を巻き込み
空間を満たす独自のアートパフォーマンスは舞台芸術として評価される
世界遺産/沖縄中城跡、奈良/天河大弁財天社、岡山/吉備津彦神社にて奉納踊描を納める他
台湾・上海・香港・アメリカ・スイス・フランス・カザフスタン・インド・ミャンマー・フィリピンなど世界各地に招聘される
描き上げた作品を国内外のミュージアム、ギャラリー、アートフェアーにて発表
2018年より #テクノロジーと神秘[ 聖 域 ]というコンセプトを掲げ
VR/ARテクノロジーと協働し、人間が本来もつ本能・神秘感覚を覚醒することを目指した
現代アートプロジェクトを始動する【身体表現とテクノロジー】について京都造形大学特別講師として登壇
ドイツのBAGブランドCOMTESSEとコラボレーションし、ブランド再建のメインビジュアルを担当
またBAGへ描き初めた作品をチャリティー販売し
売上全額を沖縄/首里城復興へ寄付
▽個展▽
東京/TRICERA museum, 香港/Red square gallery, 台湾/Sincewell gallery, 東京/新生堂画廊, 東京/西武美術画廊, Kazakhstan/Almaty museum, 新宿/Beams b-gallery, etc
▽グループ展▽
NY/ White box [ Emerging Tokyo by Tagboat ], 東京/Bunkamura gallery[ブレイク前夜展], 台湾/DaliArtPlaza [TOKYO ILLUSION by Tagboat], 渋谷西武美術画廊 [シブヤスタイル]
▽アートフェアー▽
青山スパイラル/エマージング・ディレクターズ・アートフェア [ULTRA001]ArtFair Shanghai
▽企業コラボレーション▽
日産カレンダーアートワーク担当、Alfa RomeoTVCM出演、Canon EOS 5D Mark III 公式ムービー出演、TAITTINGER party@東京国立博物館宝物館出演、スイス時計メーカーCarl.F.BUCHERERのPathos Princessアンバサダー就任、VIVIENNETAMコラボドレス発表、Xgames China artwork、Whotel Shanghaiコラボ、etc
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踊絵師と美術史
文/奥岡新蔵
神田さおりは山口県徳山生まれ、バグダッドとドバイで幼少期を過ごし、現在は東京に拠点を置きながら現代美術家として活動しています。
人間のプリミティブな階層に潜む感情を、舞踊と絵画を融合させたアプローチ方法によってパフォーマンスや絵画制作のかたちで表現し続けてきた神田は、自身の存在について“踊絵師”という形容を使います。
舞踊と音楽、衣装、照明演出、映像演出などを巻き込み、オーディエンスを目の前にして行われる彼女のアートパフォーマンスは、一見すると舞台芸術的なメディア性、総合性が感じられる類のものに映ります。
しかしその背景において横たわるのは、彼女が語るところによれば、描かれている絵画そのものに描き手である自身の肉体、音楽や舞踊によって掻き立てられた情熱性、そして行為性を組み込んでいく志向性であると言い、それは白髪一雄(1924-2008)やジャクソン・ポロック(1912-1956)らが展開した、絵画における行為性や無意識的イメージの表出を重視したアクション・ペインティングという、美術史の流れの一つを汲む絵画制作の姿勢とも言えるでしょう。
「私にとって”踊る”という行為は”いのり”そのものであり、自分という存在や意図を離れて、より無意識的に大宇宙と繋がって表現する重要な入り口(儀式)だと感じています。」
と本人が語るように絵画制作における彼女は作品に恣意性をもたらす役割ではなく、あくまでも普遍的なレベルに潜む事柄を具象化する、一人の媒介者のごとき立ち位置を保ちます。
抽象絵画の歴史における伝統的な流れに接近しながらも、しかし神田が彼女自身の独自性を失わない所以は、やはり彼女が舞踊と音楽を取り入れるところにあるのでしょう。
キャンバス、絵の具、絵筆やアーティスト自身の肉体を構成要素にするアクション・ペインティングの世界に、神田は舞踊と音楽という新しいアングルを持ち込みます。
それらのみならず、自身のアートパフォーマンスについて参加者を含めた全ての人々が神秘的な経験を共有する儀式であるとする彼女は、自身が舞台へ上がる際に感じる特別な、五感の先にある存在を可視化し、かつ共有出来るのではないかという意図からVRやARといったテクノロジーの最前線にある存在を恐れずに自身の活動に取り入れていますが、そうしたデ・クーニングらの時代にはなかった現代の諸要素、しかも現代生活の周辺にあって無視しえない要素を、人間の深層性を具現化するという自分なりの文脈上から用いる点が、現代生活におけるテクノロジーを媒介にした共有文化を背景に見るならば、まさに神田の革新性であると言えるでしょう。
ポータブルなデバイスなど遠隔の通信手段が著しく発達した私たちの日常では、今や音楽やダンスは何処にいてもそのコンテンツにアクセスが出来きる、ごく当たり前な日常的存在と言えますが、神田はそれらメディア・アート的諸要素を伝統的なムーブメントであり絵画制作の方法であるアクション・ペインティングとミックスさせ、アップデートし、新しい表現を生み出します。その姿勢は、もはや停止したムーブメントであるアクション・ペインティングを現代の方法や手段によって新たに呼吸させるような、つまり美術史の中に横たわって動かなくなった事柄を現代とその先に存続させていく、いわば現代における美術の使命と方法の一つの提示する行為と言えるのではないでしょうか。