池伊田リュウは、
作家は共感覚を視覚に生じる「エラー」と捉え、
その制作の初期から現在に至るまで、心境の変化と作品に対する思いをお伺いしました。
池伊田リュウ Ryu Ikeida |
ー絵を描き始めたのはいつ頃ですか?きっかけはありましたか?
目的を持ってという意味でしたら、2000年頃です。物心付く頃から、自分の中に表現して外に出さなくてはならないものがあると感じてはいたのですが、絵を描くようになるまでは音楽、一種の身体表現、文章など別の形で試みており、絵を描くことに行き着いた時には、実は自分にとって最も効率的な方法はこれだったのかもしれない!と思いました。
初めての経験としてならば、かなり遡った3~5歳頃ですが、何故かややグロテスクな人体パーツに魅了されており、シンプルな人型の枠内の胴体部分にとぐろを巻く内臓(主に腸)や、殆んどただの楕円の中にさまざまなタイプの歯が生えている様子を可能な限り細かく描いていた記憶があるのですが、内蔵と骨の配置や数など解剖図的な不思議さに関心があっただけだと思います。
しかしながらその後、幼~青年期は主に音楽に集中しており、絵とは学校などで「全員描くことになっている際だけ向き合う、特に関心のないもの」という認識で、褒めて頂くことがあっても嬉しく思えませんでした。表現方法を絵にする、絵に意識を傾けてゆく内的な準備が、ある程度大人になるまで全くできていなかったのだと思います。
絵と言えるか微妙なところでは、中学生頃からしばらく、ウクライナスタイルのイースターエッグを作っていた祖母の要求を受けて、制作に参加していたこともありました。
ーアーティストを目指そうと思ったのはいつ頃ですか?
アーティストとは何かと改めて考えますと、ただ作品を描き溜めるだけの場合ならば違う呼び方があるような気もいたしまして、外に向けて発表してゆく人のことだと個人的に一旦仮定致しました。
初めてアーティストを目指そうと思ったのは2000年代前半で、一旦頓挫致しましたが、ブランクののち、IndependentTokyo2021への出展とタグボート特別賞受賞と、取り扱い作家に加えて頂くという経験を経て、同年11月から昔よりも具体的に目指すようになりました。
ー作風が確立するまでの経緯を教えてください。
基本的には粘着質な油彩画で、内容は共感覚によって見える流れと色彩を捉え、個人的な思考、いわゆる「降りてきた」「捉えた」などという説明に当てはまるもの、その都度影響されたものごとなどを重ねた作品ばかりを作るように現在なっています。また、希に、自然または生命の機能(流動する、出して吸収する、発生して消滅する)についての作品も。
元々は割と原始的な自然信仰に似た観念があり、たまたま周囲に存在した頑固な一神教的価値観への反発、音楽や美術で出会うロマン派・ロマン主義における自然というものに対する違和感(観察者にとって都合の良すぎる扱われ方)もあり、2003年頃には「人や人の考えたものを飲み込み消化する自然風景」「人が憧れる自然は自然なりの理由で流動するだけで人の存在や生死を気にしない」とのテーマを設定し、当時は共感覚で見えた色や流れも、奇をてらっているように思われるのではと思い(学生でしたので評価を多少気にして)殆んど組み込まず、なかったことにしていました。
ただ、やや薄暗いテーマについては、それを描くことで誰が喜び何の為になるのか?という感覚が継続して否めず、制作再始動後には、結局のところ、これだけは描かなくてはならないと感じる、また描く欲求のある流動の要素をメインに制作するようになりました。
ー作品を発表し始めたのは何時頃ですか?発表するまでにどういった経緯がありましたか?
きちんとした場での発表機会はまだほぼなく、現在手探りでまだあまり動けず再開後一年目です。
初めてアーティストを目指そうとした2003年頃辺りである程度形が出来上がってきたような感覚はあったのですが、描くことに力を注ぐ生活の許されない状況が生まれ、一旦はそれまでに出来た美術関係の繋がりも全て断絶してしまい、熱中の感覚を忘れることに努めて過ごしていましたが、自分なりに様々な仕事や環境を体験し、生命維持に努めるうちに結局絵を描くことに戻ろうとするような運びとなりました。
その後2021年になってからですが、長い間連絡のとれていなかった友人で、タグボート作家の先輩でもある鴨下容子氏との再会、そこから鴨下氏の作品展示を含む昨年のアート解放区2021を拝見したことが転機となりました。久し振りにお会いした鴨下さんは、学生時代もすごい作品を描かれていましたが更に素晴らしい作品を作られ、鑑賞も知識更新も長らくさぼりきっていた脳にとって、大変大きなインパクトがありました。
浦島でしたので、ほぼ全てが初めて拝見する作品・作家さんで、美しかったりスマートだったり、ユーモアや鋭さや優しさ、言語化しにくい凄味のようなものを放つ作品の数々を生で目にしてしまうと中毒性がありまして、心から楽しく何度も通ううちに気付いたらこちらにも着火してしまいました。
そして5月半ば頃から急に本気で、忘れかけていた手順を思い出しながら絵を描き始め、思い付きの勢いでIndependentTokyo2021への出展申し込みを致しました。
発表にあたってはまず自分がどの程度ダメか、どんなに作品が弱いかを反応などから直視し、その哀れさ具合によっては完全に絵を描くことを諦める覚悟で、再び作品作りを続けたいなら突破しなければならない第一のテストというつもりで臨みました。
その際例えは悪いかもしれませんが大体殴って頂くつもりでその場におりましたが、意外に誰にも殴られず、むしろ優しい現象しかなく、思いよりも状況がリードするような状態に驚きながら、ひとまずは作品制作と発表を許されたと考えることにし、現在に至ります。
ーアーティストステートメントについて語ってください。
共感覚で捉えた色彩や形状の流動をメインとした風景画、また、その中にその都度影響されざるを得なかったものごと、頭から離れない考え、思い付きなどをを描いています。
頻出する二つで一つの山など、原風景として持ち続ける実在の場所をデフォルメしたものが多く、そこへ普段そこで寝起きしているわけではない自分が持ち込むものごとはファンタジーとなり、実際に見えた流れや色彩のほうを、より現実の側に属する要素として取り扱っているという意識があります。
ー作品はどうやって作っていますか?技法について教えてください。
キャンバスに油絵の具で描いています。ほかの画材で下描きすることは基本なく、試してみたこともありますが、どうやら初動でスピードが出せないとテンションが下がってしまう、または、下描きを作品にしようとする=下描き用のはずの画材を無理やりメインに持ってきて制作しようとするなど、慎重に計画し効率と正確さを求める方法は今のところうまくいきませんでした。
ですので、現在は最初の一筆から完成形の一部を作るつもりで制作しております。
ー作品制作で困難な点や苦労する点を教えてください。
目標の形、完成作品の状態が全体図としては頭にある状態で作り始めるのですが、厳密には恐らく視覚や記憶をだけを用いているわけではないため、形や色彩を画面に広げることは簡単でないこともあり、軽やかにあっさりした雰囲気を出したい箇所があっても、上描きを繰り返して絵の具の層が厚くなってしまうようなことも現状日常茶飯事です。
また普段、特に作品制作中は共感覚の栓をなるべく閉じているような状態なのですが、充分に閉じきれていないと、色彩や流れの記憶を確かめている際に、その時その場のものを拾ってしまうことになって感覚が雑然とします。個別にしばらく放置が必要になりますので、常にいくつも平行して制作しますが、どれも行き詰まると、自分の感性を疑ってしまいます。
ー今後の制作において挑戦したいことや意識していきたいことを教えてください。
石の上にも三年と言うところまだ一年目ですし、まずあと二年は、作品に妥協せず、自分自身でも良いと思える作品を定期的に制作し、発表してゆけたらと考えております。自画自賛が可能な作品を作れるよう、練度と表現性を高めてゆきたいです。
技術的な面では、もう少し環境に配慮した作品作りをしたいと考えておりまして、偶々ikedaayakoさんのアーティストプロフィールにて、現在オーガニック水彩絵の具を用いて制作されていることを知ったことから、自分も何かより良い方法で進めたいと思うようになり、現在模索中です。
現実的には、今あるものを使いながら色を買い足すタイミングで環境により害のないものに切り替え、描き方を工夫することで自分らしさを保ちながら、最終的には油絵具の使用を脱するのが良いのではないかと考えています。
池伊田リュウ Ryu Ikeida |
東京生まれ。
2003年 第18回ホルベイン・スカラシップ奨学者
2021年 IndependentTokyoタグボート特別賞受賞
人生の一時期を過ごした諏訪地域の自然環境に影響され、山地や水辺の緩慢な変容、気流を共感覚で捉えた風景画を主に制作している。